レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/02/12
- 登録日時
- 2022/05/19 00:30
- 更新日時
- 2022/05/19 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-210047
- 質問
-
未解決
昭和20年8月9日に女川空襲で沈んだ特務艦「大浜」の戦後の解体時の資料を探している。
解体作業が行われた場所・期間を知りたい。特に解体時の写真が見たい。
- 回答
-
下記のとおり回答します。
※【 】内は当館請求記号です。
下記資料を確認しましたが,関連する記述は見当たりませんでした。
資料1 新関昌利『日本空襲の中の宮城の空襲誌 第3巻』新関昌利, 2014【K207/2013.7/3】
資料2 女川町誌編さん委員会編『女川町誌 続編』女川町, 1991【K253.1/オ1/2】
資料3 『女川町勢要覧』女川町, 昭和32年度(1957)【GK91/1】
資料4 邉見清二監修『石巻・東松島・女川今昔写真帖』郷土出版社, 2009【K250/2009.1/タ】
資料5 佐藤清人, 千田久勝編『宮城三陸・登米の昭和』いき出版, 2019【K207/2019.2/タ】
資料6 阿部和夫, 小野寺正人編『目で見る石巻・桃生・牡鹿の100年』郷土出版社, 2000【K250/2000.Z/タ】
資料7 『世界の艦船』海人社, 890集(2018)【P556/セ】
なお,下記資料に「大浜」を含む艦船引揚に関する記述がありましたので,参考までにご紹介します。
資料8 女川町誌編纂委員会編『女川町誌』女川町, 1960【K253.1/オ1】
pp.974-977「第十四編 終戦前後の女川町」-「一七,爆沈したる艦船引揚」の項
p.977「(前略)この後海上保安庁に灯台運動に行く毎に,係官に陳情懇請したけれどもらちあかず困り切つたが,(中略)民間人の請負となり着々解体引揚げが行われたが,意外に泥砂をかぶり殆ど三十二年までかゝつて完了した様子である。(後略)」
※「大浜」が引揚された具体的な時期については確認できませんでした。
「女川町誌」は女川町のホームページでも閲覧が可能です。
「女川町」-「女川町誌」
https://www.town.onagawa.miyagi.jp/choushi.html (最終アクセス日:2022年2月12日)
また,下記で検索を行いましたが,関連する資料は見当たりませんでした。
「河北新報データベース」
仙台市に本社を持つ地方紙『河北新報』の1991(平成3)年からの記事を収録したデータベースです。
検索したキーワード:「大浜」「女川」「沈船」
「宮城県公文書館 収蔵資料検索」
https://www.pref.miyagi.jp/soshiki/koubun/shiryoukensaku.html (最終アクセス日:2022年2月12日)
明治以降の県庁文書を中心とした資料を収蔵する,宮城県公文書館の資料を検索することができます。
検索したキーワード:「大浜」「女川」「沈船」「引揚」「解体」
- 回答プロセス
-
1. 女川町関連資料や艦船に関する資料を調査した。資料1-8を確認したところ,資料8に「大浜」に関する記述を見つけたが,解体の時期などの詳細は分からなかった。
2. 「河北新報データベース」や「宮城県公文書館 収蔵資料検索」でもヒットなし。
- 事前調査事項
- NDC
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- 海軍 (397 9版)
- 参考資料
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- 女川町誌編纂委員会/編. 女川町誌. 女川町, 1960【K253.1/オ1】:
- 新関昌利/著. 日本空襲の中の宮城の空襲誌 第3巻. 新関昌利, 2014.7【K207/2013.7/3】:
- 女川町誌編さん委員会/編. 女川町誌 続編. 女川町, 1991【K253.1/オ1/ウ2】:
- 女川町役場. 女川町勢要覧. 女川町, 【GK91/1】:
- 邉見清二/監修. 石巻・東松島・女川今昔写真帖. 郷土出版社, 2009.1【K250/2009.1/タ】:
- 佐藤清人/編集・執筆 千田久勝/編集・執筆. 宮城三陸・登米の昭和. いき出版, 2019.2【K207/2019.2/タ】:
- 阿部和夫/編 小野寺正人/編. 目で見る石巻・桃生・牡鹿の100年. 郷土出版社, 2000.12【K250/2000.Z/タ】:
- 海人社. 世界の艦船 890集 . 海人社, 2018【P556/セ】:
- キーワード
-
- 軍艦--日本--歴史--1945-1957
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000316343