レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年12月17日
- 登録日時
- 2023/12/20 11:53
- 更新日時
- 2024/01/11 21:17
- 管理番号
- 県立長野-23-141
- 質問
-
未解決
かつて北海道に本店があった柿本銀行の長野県内の支店について、出店と倒産の経緯を知りたい。
- 回答
-
当館所蔵の資料を調査したが、経緯を断定できる資料は確認できなかった。しかし以下の資料から、第一次世界大戦による好況期に国内有数の養蚕産地であった長野県中南信地域へ支店を拡大したものの、戦後の反動恐慌で倒産に追い込まれた可能性が高いと言える。
1. 柿本銀行について
・『本邦銀行変遷史』 東京銀行協会調査部編集 東京銀行協会銀行図書館 1998 【338/トウ】 p.137に「(株)柿本銀行 期間:明治42年~大正11?年 本店:北海道(明治42-大正11?) 後継:大正11年頃消滅」との記載あり。
・「一般社団法人全国銀行協会 銀行変遷史データベース」(最終確認:2024/01/05)にも同様の記載あり。
・『本邦貯蓄銀行史』 協和銀行行史編集室編 協和銀行 1969 【338/176】 p.146に柿本銀行が明治43(1910)年9月に設立、大正9(1920)年5月に支払停止、翌10(1921)年5月頃整理完了の旨記載あり。
・『函館市史 通説編 第3巻』 函館市史編さん室編集 1997 【211/23/3-3】 p.391-392に以下の記載あり。
(略)(大正)9年5月には函館の柿本銀行が休業に追い込まれた。それは同行の和歌山支店が取付騒ぎに
巻き込まれたからであった。同行は戦時好況に乗じて支店拡大を行い、道内には2店、道外は和歌山
県下に15店、長野県下に6店とあわせて23店もの営業拠点を持っていた。(略)長野への支店設置の理
由は不詳であるが、同方面が製糸業の中心地であることを意識したものであろうか。(略)同行は預貸
率の非常に高い銀行であり、積極的なオーバーローン状態であったが、資金不足という面も持ってい
た。この9年の恐慌により預金停滞や固定貸付の増加といった要因から柿本銀行は経営の悪化を招い
たものと思われる。同行は翌10年5月に整理を完了して解散した(『北海道拓殖銀行史』)。
資料によって設立、倒産年等にはばらつきがみられるが、概ね明治42(1909)年前後に設立し、大正10・11(1921・1922)年頃に倒産したものとみられる。
2. 柿本銀行長野県下支店について
・『長野県史 近代史料編 第6巻 商業・金融』 長野県編 長野県史刊行会 1990 【N209/11-1/6】 p.640に、柿本銀行が長野県下に「木曽福島支店(西筑摩郡福島町)、上松支店(西筑摩郡駒ヶ根村)、茅野支店(諏訪郡宮川村)、矢ヶ崎支店(諏訪郡永明村)、青柳支店(諏訪郡金沢村)、上諏訪支店(諏訪郡上諏訪町)、下諏訪支店(諏訪郡下諏訪町)」の計7店舗の支店を展開していたとの記載あり。
・『銀行会社要録:附・職員録 24版』 東京興信所編・刊 1920 長野県p.4 [国立国会図書館デジタルコレクション(インターネット公開) コマ番号:514](最終確認:2024/01/05)に、長野県の銀行一覧として柿本銀行の記載あり。支店数は「諏訪郡上諏訪町、同郡下諏訪町、同郡宮川村、同郡永明村、同郡金澤村、西筑摩郡福島町、同郡駒ケ根、上水内郡神郷村」の計8店舗。前後年版には記載なし。
・『帝国銀行会社要録:附・役員録大正5年(5版)』 帝国興信所編・刊 1916 長野県p.4 [国立国会図書館デジタルコレクション(インターネット公開) コマ番号:645](最終確認:2024/01/05)に、「諏訪郡上諏訪町、同郡下諏訪町、同郡宮川村、同郡永明村、同郡金澤村、西筑摩郡福島町、同郡駒ヶ根村上松、上水内郡神郷村豊野 以上開設大正五年六月」との記載あり。上述『長野県史』に記載のある店舗に上水内郡神郷村豊野支店が加わった計8店舗が挙げられている。以降、同資料大正8(1919)年版まで同様に8店舗の記載がある。大正9(1920)年版から大正14(1925)年版までは、上水内郡神郷村豊野の支店がなくなった合計7店舗になり、以降同資料における柿本銀行の記載はなし。
前述資料では倒産時期を大正10・11(1921・1922)年頃とするものが多かったが、大正13(1924)年版には長野県と和歌山県、大正14(1925)年版には長野県下の支店の記載が確認できた。
3. 柿本銀行が長野県下に支店を展開していた理由について
前述『函館市史』に記載があった、柿本銀行の長野県下への出店理由を裏付けるものに以下の資料があった。
・並木茂八郎著 「長野県における明治初年の銀行設立事情とその後の動き」 『長野』 第28号 長野郷土史研究会 1969 p.4に以下の記載あり。
[明治十七年の全国銀行類似会社数の全国一位は長野県であったが、]長野県の銀行設立が非常に多か
ったのは、全国一の蚕糸県であることと因果関係をなすものといえましょう。蚕糸業が明治・大正の
日本経済を支えた重要産業であり、また長野県が物的にも人的にも蚕糸業に最も適する県として独特
の発展を遂げ、県経済の発展に寄与したのは知られる通りです。(略)
(略)長野県の製糸業の規模は全国の四割にも当る大きいものでしたから、県内銀行の資金だけでは到
底間に合わないで、東京・横浜の銀行や生糸問屋からも直接間接に貸出されました。(略)その製糸業
も、大正八年の好況を頂点として下り坂となり、アメリカ一辺倒であった生糸輸出は、人造絹糸など
の進出に抑えられた上に世界的不景気で売行きは減り、糸値は暴落して製糸業は大打撃を受けました
。(略)
銀行もそれぞれの立場から自衛策を取ったのですが、大勢には抗し兼ねて休業銀行が続出し、預金
者に迷惑を及ぼす銀行も出て、社会問題を起すような事態ともなりました。
さらに『諏訪市史 下巻 近現代』 諏訪市史編纂委員会編 諏訪市 1976 【N241/69/3】等、各支店の所在地の市町村史誌を確認したところ、養蚕業の発展と第一次世界大戦の好景気によって金融業が栄えたものの、終戦後の反動景気によって倒産が相次いでいたことが記載されており、柿本銀行も例外ではなかったことが推察される。
- 回答プロセス
-
1 googleにてキーワード「柿本銀行」で検索し、「『函館市史』通説編3 5編2章4節」にて柿本銀行についての記載を確認。(最終確認:2024/01/05)
2 当館蔵書検索システムにてキーワード「柿本銀行」で検索するもヒットなし。
3 『長野県史 近代史料編 第6巻 商業・金融』で柿本銀行県下支店の記載を確認。
4 NDC分類338(金融)前後をブラウジング。当館蔵書検索システムにてキーワード「明治 銀行」等で検索し、めぼしい資料を調査。
5 回答資料から判明した柿本銀行の長野県下支店のあった市町村史誌を確認。
<その他調査済み資料>
・『長野県史 通史編 第7巻 近代』 長野県編 長野県史刊行会 1988 【N209/11-4/7】
・『茅野市史 下巻 近現代・民俗』 茅野市編・刊 1988 【N241/111/3】
・『木曽要覧』 富士川雲外編 蘆沢書店 1919 【N234/18】
・『木曽福島町史 第3巻 現代編2』 曽福島町教育委員会編 木曽福島町 1983 【N234/76/3】
・『長野県統計書 明治43年』 長野県編・刊 1912 【N350/4/'10】
・『長野県統計書 大正8年』 長野県編・刊 1921 【N350/4/'19-3】
・『八十二銀行史』 八十二銀行編・刊 1968 【N388/10】
・『銀行等変遷資料集』 長野県司法書士会編・刊 1999 【N338/28】
・『銀行大鑑』 日本金融通信社編・刊 1965 【338/134】
・『日本銀行百年史 第3巻』 本銀行百年史編纂委員会編 日本銀行 1983 【338/209A/3】
・池田正孝著 「長野県の銀行と製糸業(一)」 『信濃 第三次』 第17巻 第5号 信濃史学会 1965
・池田正孝著 「長野県の銀行と製糸業(二)」 『信濃 第三次』 第17巻 第6号 信濃史学会 1965
・小口圭一著 「明治期における諏訪地方金融業の概要」 『信濃 第三次』 第25巻 第2号 信濃史学会 1973
・武田安弘著 「明治後期諏訪地方製糸業の史的展開(一)」 『信濃 第三次』 第25巻 第5号 信濃史学会 1973
- 事前調査事項
- NDC
-
- 金融.銀行.信託 (338)
- 参考資料
- キーワード
-
- 銀行
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000343657