レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年05月21日
- 登録日時
- 2020/12/18 09:38
- 更新日時
- 2021/03/11 16:52
- 管理番号
- 新県図-01445
- 質問
-
解決
1698年6月10日(元禄11年5月3日)の信濃川堤防の決壊と氾濫について
- 回答
-
当館所蔵資料を調査したところ、下記(1)~(7)の資料に元禄11年5月に発生した信濃川堤防の決壊と氾濫に関する記述が見つかりました。
(1)『両川村のあゆみ』越後平野の村の歴史(小村弌/編著 両川村公民館 1955)
p197~204「元禄十一年上和田破提と庄屋リコール」
(2)『中蒲原郡誌』下編 複製版(中蒲原郡/編 名著出版 1973)
p149~228「中蒲原郡誌巻三十 両川村誌」内p220「元禄十一年戌虎五月大字上和田地内信濃川堤防約三百間決潰し水勢蕩々として東北面に氾濫し闔村其惨害を被りしのみならず上流花牧村に於ても尚ほ一町六反六畝余歩の損地を生じ、」と記述があります。
(3)『新潟県史』通史編第3 近世第1(新潟県/編 新潟県 1987)
p370(「表93 越佐災害年表(慶長5年~正徳5年)」内)「5月3日信濃川氾濫、増水1丈6尺、上和田(新潟市)破提、横越島一円立毛なし、その他各地で破提、新発田領内水損高2万3275石(「新発田藩史稿」)」と記述があります。
(4)『新潟市史』通史編1 原始古代中世 近世(上)(新潟市史編さん原始古代中世史部会/編,新潟市史編さん近世史部会/編 新潟市 1995)
p369~370(「あいつぐ災害」の項内)「元禄十一(一六九八)年五月、上和田村の信濃川堤二○○間が破れ、亀田郷内は水浸しになり、上和田村の耕地に大量の土砂が流れ込んだ。隣村の下和田村でも被害は大きく、この年の年貢はすべて免除になった。」と記述があります。
(5)『信濃川百年史』(建設省北陸地方建設局/編 北陸建設弘済会 1979)
p166~173「表Ⅰ.2.15 水害記録表」内p166「1698(元禄11)年」の備考欄に「5月3日信濃川は出水し、最高水位一丈6尺となる.各所で破堤し、人畜の死傷・家屋の流失倒壊が多かった」との記述が、p428~470「(2)信濃川」内p450に「両川村(現新潟市両川)においては、元禄11年(1698)5月に大字上和田地内(現新潟市上和田)の信濃川堤防が約300間(約545m)が決壊し、東北面に氾濫したとある.」と記述があります。
(6)『信濃川大河津分水誌』第1集(建設省北陸地方建設局長岡工事事務所/編 建設省北陸地方建設局長岡工事事務所 1968)
p19~26「表-2 水害記録表」内p19に上記(5)の資料p166と同様の記述があります。
(7)『信濃川下流三十年史』(建設省北陸地方建設局信濃川下流工事事務所/編 建設省北陸地方建設局信濃川下流工事事務所 1996)
p84~93「表2-1 洪水年表」内p85に上記(5)の資料p166と同様の記述がありま
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 社会福祉 (369 9版)
- 北陸地方 (214 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 信濃川
- 氾濫
- 堤防
- 決壊
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000290907