レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年11月13日
- 登録日時
- 2023/05/10 10:43
- 更新日時
- 2023/12/23 14:33
- 管理番号
- 2022-0103
- 質問
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解決
戦後進駐軍の支援物資で、通称「玉子バター」というものがあったと聞いた。どういうものか詳しく知りたい。円柱の缶詰に入っているバターやヨーグルトのようなもので、スプーンで食べたらしい。
在米の日系人から送られた『ララ物資』の可能性もあるのではと考えている。
- 回答
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『少し昔、北国の小さな村の昭和暮らし』
p117,118「進駐軍支援物資のチーズ、バター、砂糖」
「玉子バター」とは書かれていないが、「バターも大きな塊であった。これは美味しかった記憶がある。」と書かれている。体験者は1946年生まれで、当時5、6歳だった。
『救援物資は太平洋をこえて』
p210、211ララ第1船、第2船の報告書があるが、「多目的食料」などの項目で記載されているのみ。
p90ララ物資は、「バター、チーズ」列記
p92「バター、チーズ、ジャム」
p168「チーズは食べると塩味でくさいので石けんを食べたかと勘違い・・・」
『焼け跡に手を差しのべて』
p65写真中に円柱缶詰を持っている子供がいる。「CAREパッケージ」で乳児向け、幼児向けがあったと記載している。
『東京占領』
p274米軍、食糧と物資を放出 GHQは米軍の携帯口糧1千トンを放出し、バター、チーズなど殆どの日本人が初めて口にする高カロリーのものだったとの記述あり。大量の缶の写真あり(ラベル読み取れず)。
【インターネット情報】
「第二次世界大戦までの米陸軍のレーションの歴史」
http://www17.big.or.jp/~father/meal/ration/ration.html#red
バターではなくチーズのレーションについて記載されている。
Kレーションの昼食には缶詰チーズがあった。また、これとは別に「赤十字食糧パッケージ」という戦争捕虜用ポケットレーションがあったとのこと。これに缶入りチーズ製品が含まれていた。
国立国会図書館デジタルコレクション
奥須磨子「ララ物資のはなし 敗戦直後日本人への救援」
p178に具体的品目が列記されているが、「玉子バター」はなし。乳児食や幼児食がある。
https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8557950_po_tz0718.pdf?contentNo=1&alternativeNo=
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 8版)
- 社会福祉 (369 8版)
- 参考資料
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- 『少し昔、北国の小さな村の昭和暮らし』成ヶ澤憲太郎 著 共同文化社 2013.04 (382.11/N52 閉架一般 000057291)
- 『救援物資は太平洋をこえて』多々良紀夫 著者 財団法人保健福祉広報協会 1999.03 (369.14/Ta94 閉架一般 060001605)
- 『焼け跡に手を差しのべて』横浜都市発展記念館 編集 横浜市ふるさと歴史財団 2016.10 (369.14/Y75 閉架一般 060006173)
- 『東京占領』佐久田繁 編著 月刊沖縄社 1979.09 (210.76/Sa52 開架大型 000032155)
- 「第二次世界大戦までの米陸軍のレーションの歴史」http://www17.big.or.jp/~father/meal/ration/ration.html#red (2022/11/13確認)
- 国立国会図書館デジタルコレクション「ララ物資のはなし 敗戦直後日本人への救援」https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8557950_po_tz0718.pdf?contentNo=1&alternativeNo= (2022/11/13確認)
- キーワード
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- 玉子バター
- 進駐軍
- 支援物資
- 缶詰
- ララ物資
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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『パンの明治百年史』パンの明治百年史刊行会 1970.09(000061562)
『新修神戸市史 生活文化編』新修神戸市史編集委員会 編集 神戸市 2020.03(060008410)
『占領期生活世相誌資料 Ⅰ』山本武利 監修 新曜社 2014.08(000058487)
『思い出すままに』澤近勝子 著者 新樹社 1999.12(000038604)p188「米軍の放出物質」軍のものなので濃いカーキ色の缶で…とあり。
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人 団体
- 登録番号
- 1000333017