1 足立区資料にあたる
【資料1】
p.218「餅なし正月(青井地区)」に、現在の青井2丁目付近(以前は四ツ家といっていた)の風習であること、12月28日に各家ごとに餅搗きをするが、正月になっても餅は食べず、1月28日ころになって鏡開きをして、そこで初めて食べるという記述あり。
餅を食べない理由が2つ地元に伝わっているとあり、1つ目が「将軍が鷹狩に来たお正月に、この村のある家から火を出してしまい、村全体がおとがめを受けて以降、お正月に火を使ってお餅を食べることを禁止した」という理由、2つ目が「四つ家を開拓した4名の者が、この地にたどり着いたのが12月の暮れで、餅をつく暇さえなく、正月に餅の入らない芋雑煮ですませ、その後も当時の苦労をしのぶために芋雑煮で間にあわせてきた」という理由だった。
【資料2】
p.56「四ツ家の餅なし正月」に詳細あり。「四ツ家には、正月でも餅を食べないで芋(ヤツガシラ)の雑煮を食べるという風習が、昔から伝わっている。」とあり、「〆飾りをしてから1月10日までは、餅は蔵へしまっておき、食べないだけでなく、屋敷の中へ持ち込むことも禁じられ、11日の蔵開きが終わってからはじめて餅を食べるというしきたりが、現在もなお固く守られている」とある。また、しきたりが生まれた理由に、「綿栽培が盛んで多数出入りしていた職人たちが、正月に隠れて餅を焼き、たびたび火事を出したため。」というものも記載されていた。
『もちなし正月』(「足立の昔話しをたずねて」自主研究会文 「足立の昔話しをたずねて」自主研究会 1991)
あとがきには「現在でもこの4軒の本家と分家あわせて35軒の家ではもちなし正月のしきたりを守っているそうです」の記述あり。
『足立の昔がたり』(朱川湊編集・監修 足立区中央図書館 2012)に「餅なし正月」の掲載あり。
2 足立区公式ホームページ
〈もちなし〉を検索し「四ツ家の餅なし正月」を見る。
四ツ家の村を開発した4軒の高橋(2軒)、鶴飼、市川の旧家を中心に伝えられているとあり。その理由については、【資料1】の2つ目と同様の理由が記載され、「餅なし正月」の昔話にも触れている。
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https://www.city.adachi.tokyo.jp/hakubutsukan/chiikibunka/hakubutsukan/manabu-mochinashi.html 最終アクセス日2023年8月30日)