1 地名辞典にあたる
『角川日本地名大辞典』13東京都(「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 角川書店 1978)と『日本歴史地名大系』13東京都の地名(平凡社 2002)ともに「千住」は地名にあるが「千寿」は見あたらない。
2 足立区資料にあたる
『足立区町名のうつりかわり』(足立区役所区民部管理課編 東京都足立区役所 1982)地名に「千住」はあるが「千寿」は見あたらない。
『新修足立区史』上巻(東京都足立区役所編 東京都足立区役所 1967)「第2節 各町村の沿革」のp.683~691「1 千住町」に「千手」「千寿」「千住」の由来について記載あり。「(前略)どれが正しいのかはつまびらかではないが、弘安2巳卯年(1279)と記された古文書に「千寿」という地名がある(後略)」とあり。p.686からの27町名すべては「千住」から始まっている。使い分けについての記述はなかった。
『足立風土記稿』地区編1 千住(足立区教育委員会文化課編 足立区教育委員会 2004)
p.13からの「千住の歴史と宿場地区」での地名表記は「千住」のみ。
p.169「明治初期の教育」に「千寿女子尋常高等小学校(後の千寿小学校)」あり。
p.175からの「区立小学校の変遷」では「千寿本町小学校」「千寿第三小学校」「千寿常東小学校」「千寿桜小学校」について記載あり。統合前の旧小学校名に「千寿」がついていた学校が7校ある。p.177「区立中学校の変遷」には「千寿青葉中学校」があり。いずれも「千寿」を使用している理由は見当たらなかった。
【資料1】p.7「地名の由来」から地名表記上は基本的に「千住」が利用されていること、「千寿」は学校名などの他に、文芸活動や祭礼などに用いられている。という記述があり。
3 足立区公式ホームページで〈千住/千寿〉を検索
「千住と千寿 住と寿とどうちがう」がヒット。町名、地名としては「千住」、機関名、瑞祥名としては「千寿」を使う場合があることがわかる。(
https://www.city.adachi.tokyo.jp/hakubutsukan/chiikibunka/hakubutsukan/sennjyutosennjyu.html 最終アクセス日2023年7月11日)
4 足立区の教育、民俗、歴史資料にあたる。
『足立区教育百年のあゆみ』(東京都足立区教育委員会編 東京都足立区教育委員会 1980)p.122~p.123に「千寿小学校」あり。「千寿」を使用している理由について記載などはなかった。
『あだちの祭囃子』(足立区郷土博物館編 足立区郷土博物館 2002)p.36「千住の囃子」の項は「千住」のみ。
『江戸の祭り囃子考』(八木幸男著 足立史談会 1993)「3 祭囃子の創作」p.17「(前略)千住の宿場の南側(現在の荒川区南千住)の旅籠は(中略)千寿口の岡場所と云われていた」とあり。
『足立区の昭和』」(いき出版 2016)「祭りと伝統行事」の項p.219~p.224の写真とキャプションは「千住」のみ。
『足立史談』復刻版6(足立史談会編 足立区史料刊行会 2018)512号(平成22年10月)p.1「千住の祭り」では「千住」のみ。
他に見た資料
『足立の庚申塔を歩く』(石川博司著 庚申資料刊行会 2003)
『足立の庚申塔を歩く』続(石川博司著 庚申資料刊行会 2004)
『千住宿と足立』(勝山準四郎著 足立史談会 1981)