レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年01月20日
- 登録日時
- 2023/01/20 15:07
- 更新日時
- 2023/03/13 17:07
- 管理番号
- 世田谷中央2023-029
- 質問
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解決
兵庫島がいつごろどのようにしてできたのか知りたい。また、名前が付いた伝説なども知りたい
- 回答
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『世田谷のおはなし 7』P15に記載あり。室町時代から江戸時代にかけて流路は何度も激しく変わっている。当初は完全な島だったが、現在は陸続きになっている。また1358年、新田義貞とその子の新田美興は足利尊氏との戦で敗れ、その家来だった、美興の家来である由良兵庫助の亡骸が流れ着いたことから、兵庫島となった。美興の終焉の地が調布市矢の口と大田区の矢口の二説あり。『多摩川-境界の風景-』、『源流から最下流まで野川を歩くガイドブック』、『グラフせたがや 第17号~第20号(昭和57年)』、『父と子の多摩川探検隊-河口から水源へ-』、『「川」が語る東京-人と川の環境史-』、『ふるさと世田谷を語る-玉川台・瀬田・玉川-』を参照。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213)
- 日本 (291)
- 地方自治.地方行政 (318)
- 参考資料
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- 多摩川-境界の風景- , ISBN 4-89660-084-3
- 源流から最下流まで野川を歩くガイドブック
- グラフせたがや 第17号~第20号(昭和57年)
- キーワード
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- 兵庫島
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000327678