レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009/02/17
- 登録日時
- 2009/11/21 02:13
- 更新日時
- 2009/11/26 10:23
- 管理番号
- 千県中千葉-2009-0019
- 質問
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未解決
明治時代に書かれた名著の『千葉繁昌記』に載っている遊廓の山田楼(経営者 志方)についての資料とその後について知りたい。
- 回答
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『千葉繁昌記』(藤井三郎著 千葉市教育委員会 1964 明治28年刊の復刻)によると山田楼(楼主 志方キヨ)は、千葉市登戸の千葉新地にあったようなので、登戸の歴史を中心に調査しましたが、山田楼についての具体的な記述は見つかりませんでした。
なお、次の記事に山田楼のあった地区(千葉新地)に関する記述がありました。
千葉市民俗調査報告書2「登戸の民俗」(『研究紀要』13号 千葉市立郷土博物館 2007)p10-11「昭和28年(1953)に赤線廃止が決定、・・・昭和33年(1958)の売春防止法施行で新地は解体され、妓楼も旅館や料理屋に商売替えをしたが、あまりうまくいかなかった。成功した人も移転して成功したという。そうして区画整理が行われた現在、新地の痕跡は絶え、ただ、登戸と新町の住民の記憶に残るのみである」とあります。
この報告書は平成15‐17年度に千葉市民俗調査会が聞きとり調査を行い作成したもので、調査記録等は千葉市立郷土博物館で保管している、とのことです。
- 回答プロセス
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『千葉繁昌記』は同書名で2種類ある。1冊は君塚辰之助著兼発行(明治24年刊 表紙著者名「雀巣子」)のものと、藤井三郎著兼発行(明治28年刊)のもので、当館所蔵の資料はどちらも昭和39年に千葉市教育委員会が復刻したものである。君塚辰之助著兼発行の『千葉繁昌記』は版画四葉が挿入されている。藤井三郎著兼発行の方は情報量が多く、地誌としての性格が強い。遊郭についてはどちらにも記述があるが、詳しいのは藤井三郎著兼発行の『千葉繁昌記』である。
藤井三郎著兼発行『千葉繁昌記』は国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで本文を閲覧することができる(http://opac.ndl.go.jp/recordid/000000425876/jpn)。
『千葉県警察史』に具体的な楼閣については記述なし。
- 事前調査事項
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『千葉繁昌記』
- NDC
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- 社会.家庭生活の習俗 (384 9版)
- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
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『研究紀要』(13号 千葉市立郷土博物館 2007.3)
(0501704383)
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『研究紀要』(13号 千葉市立郷土博物館 2007.3)
- キーワード
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- 遊廓
- 山田楼
- 千葉新地
- 千葉県‐千葉市‐登戸
- 千葉県‐千葉市‐新町
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000059860