1 若穂地区の学校史を調べる。
当館の郷土資料を「綿内中学校」「若穂中学校」などで検索し、ヒットした資料を確認する。
また、教育関係の資料をまとめた郷土分類N3類の棚もあわせて調査を行うが、綿内中学校の校歌等に関する記述は確認できない。
2 若穂および近隣の区誌を調べる。
『長野県の学校』太田美明著 信濃教育会出版部 1983【N370/174】p.590「長野市立若穂中学校」で
昭和22年 新学制施行により、上高井郡綿内村立綿内中学校、同川田村立川田中学校、同保科村立
保科中学校が設置される。
昭和34年 綿内、川田、保科の3村が合併し、若穂町立綿内中学校、同町立川田中学校、同保科村
立保科中学校と改称される。
昭和36年 綿内、川田、保科の3中学校の組織を統合して若穂中学校となる。従って3中学校はそれ
ぞれ部校となる。
昭和37年 現在地に校舎新築、実質統合し、若穂町立若穂中学校が開校される。
という記述を確認したため、当館の郷土資料を「若穂」「綿内」「保科」「川田」などで調べる。「
長野県市町村史誌等目次情報データベース」(最終確認 2022.04.27)でも市町村史の目次を同様に検索してヒットしたものを確認するが、綿内中学校の校章等に関する記載はなし。
3 校歌に関する資料を調べる。
県立長野-08-010および
県立長野-20-100を参考に当館の資料を調査するが、綿内中学校の校歌に関する
記載は確認できない。
4 若穂中学校へ照会するが、綿内中学校ほか、合併前の校章や校歌に関する記録は残っていないとの回答を得る。
5 『長野県の学校』p.565「長野市立綿内小学校」に
昭和22年4月「綿内村立綿内小学校」発足「綿内村立中学校」併設。
の記事を確認したので、綿内小学校へ照会したが、綿内小学校に関する記録のみ残っているとの回答を得る。
<調査資料>
『二十年のあゆみ 開校二十周年記念誌』長野市立若穂中学校編・刊 1981【N376.3/28】
『三十年のあゆみ 開校三十周年記念誌』長野市立若穂中学校編・刊 1991【N376.3/28a】
『五年間のあゆみ 若穂中学校開校40周年記念誌』長野市立若穂中学校四十周年記念事業実行委員会編
長野市立若穂中学校 2001【N376.3/28b】
『逞しくゆたかに拓く 若穂中学校開校50周年記念誌』
長野市立若穂中学校開校50周年記念誌委員会編 長野市立若穂中学校 2012【N376.3/28c】
『[長野市立綿内小学校]創立百二十周年記念誌』
綿内小学校創立百二十周年記念誌編集委員会編 綿内小学校 1995【N376.2/279】
『綿内小学校 九十年のあゆみ』綿内小学校九十年史編纂委員会編・刊 1965【376.2/133】
『長野県上高井郡誌』上高井郡教育会編 千秋社 1999【N214/89】
『長野市誌 第8巻 旧市町村編 旧上水内郡・旧上高井郡』
長野市誌編さん委員会編 長野市 1997【215.2/ナガ/8】
『若穂町要覧 昭和37年版 若穂町編・刊 1962【N351.4/10】
『郷土 わかほ 特集8号』若穂中学校郷土クラブ編 若穂中学校 1978【N214/48】
『上高井郡若穂町誌 昭和34年-昭和41年10月』
上高井郡若穂町を記録する会編 若穂郷土史研究会 2018【N212/575】
『若穂団地二十年史』若穂団地二十年史編集委員会編 若穂団地自治会 1989【N212/255】
『ふるさとの誇り綿内誌』
長野市制100周年記念事業綿内地区実行委員会編・刊 2005【N212/413】
『100年のあゆみ』
川田小学校校誌編集部編 川田小学校開校百周年記念行事実行委員会 1971【N376.2/36】
『日本校歌・寮歌集』新興楽譜出版社 1973【767/137】
『高野辰之作詞全国校歌集 村制施行四十周年記念』高野辰之[作詞] 豊田村 1996【767.6/タカ】
『校歌・寮歌全集』高田三九三編 共同音楽出版社 1956【767/タ】
市川包雄著「長野県における校歌の制定 -浅井冽・高野辰之作詞校歌を中心に-」
『長野県立歴史館研究紀要』第10号 2004 p.69-85