レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/11/28
- 登録日時
- 2021/12/01 00:30
- 更新日時
- 2021/12/01 18:09
- 管理番号
- 所沢本-2021-024
- 質問
-
未解決
所沢の昔話に見える「福猫塚」、「勘七猫塚」は現在のどの大字・町にあったものだったのでしょうか。
- 回答
-
「福猫塚」、「勘七猫塚」のあった住所が記載されている資料は見つかりませんでした。
おおよその場所ですが、「福猫塚」の猫塚は元町付近だと思われます。「勘七ねこ塚」に登場する勘七が住んでいた「植の宿」は日吉町、旭町、東町だと思われます。
下記の資料から推測しました。
〇『所沢の民話と伝説』 文化会館 1980年
〇『埼玉ふるさと散歩 所沢市』 斎藤脩治/著 さきたま出版会 1993年
〇『ところざわ歴史物語』 所沢市教育委員会/編 所沢市教育委員会 2020年
〇『鎌倉街道をゆく』 栗原仲道/著 埼玉新聞社 1998年
〇『埼玉県道路地図』 昭文社 2020年
〇『鎌倉街道 上つ道』 所沢市立埋蔵文化財調査センター/編集 所沢市立埋蔵文化財調査センター 2018年
〇『埼玉県の民話と伝説 入間編』 栗原仲道/[ほか]編 有峰書店 1977年
〇『所沢市史研究 第18号』 所沢市教育委員会文化財保護課/編 所沢市教育委員会 1995年
- 回答プロセス
-
1.「福猫塚」、「勘七猫塚」について
『所沢市史 民俗』 所沢市史編さん委員会/編 所沢市 1989年
p755~756 「勘七猫塚」の項目あり。
p760~761 「福猫塚」の項目あり。「旧所沢町の西方、鎌倉街道を出はずれた道端に、小さな塚の跡が数年前まで残っていました。」との記載あり。
2.所蔵資料の内容確認
〇『所沢の民話と伝説』 文化会館 1980年
伝説と民話のふるさと案内図あり。⑭福ねこ塚、⑮勘七ねこ塚と記載があり、手書きではあるが、場所が記載されている。
〇『埼玉ふるさと散歩 所沢市』 斎藤脩治/著 さきたま出版会 1993年
p15 植の宿に勘七親分が住んでいたとの記載あり。
p16 手書きの地図ありファルマン通りの交差点に「植の宿」記載あり。
p27 「侠客といえば、関東一の大親分小金井小次郎の一の子分勘七もこの「植の宿」に住んでいたという。任侠心強く「勘七猫塚」の伝説を残している。」との記載あり。
p28 手書きの地図ありファルマン通り交差点から七世橋に向かう途中に「植の宿」記載あり。
〇『ところざわ歴史物語』 所沢市教育委員会/編 所沢市教育委員会 2020年
p176 上ノ宿(植ノ宿)が日吉町、旭町、東町にわかれた記載あり。
〇『鎌倉街道をゆく』 栗原仲道/著 埼玉新聞社 1998年
p133 「新光寺の門前から南へ、金山町の大通りに出て、実蔵院の西側の坂道をのぼると学校新道に出る。これを越えると道の両角に太田ビルと日本電信電話㈱がある。そして四〇〇メートルほどで行政道路に出るが、その途中左手の所沢小学校の西側あたりに、伝説で知られた福猫塚があった。」との記載あり。
〇『埼玉県道路地図』 昭文社 2020年
p25 所沢の地図あり。『所沢の民話と伝説』、『埼玉ふるさと散歩 所沢市』、『鎌倉街道をゆく』を照らし合わせ、福猫塚の猫塚は元町付近。勘七猫塚に登場する勘七が住んでいた植の宿は日吉町、旭町、東町付近だと思われる。
〇『鎌倉街道 上つ道』 所沢市立埋蔵文化財調査センター/編集 所沢市立埋蔵文化財調査センター 2018年
所沢市内の鎌倉街道記載あり。
〇『埼玉県の民話と伝説 入間編』 栗原仲道/[ほか]編 有峰書店 1977年
p22~25 「福猫塚」の項目あり。
「所沢の町を北から南に縦断している鎌倉街道は、神明さまの西大門から新光寺の前を通り、実蔵院脇から電話局の脇を通って、南にのびています。この電話局の南、鎌倉街道の道端に、小さな石をつんだ塚があり、塚の上には石の仏さまが立っていました。(中略)この塚が猫塚です。」との記載あり。
〇『所沢市史研究 第18号』 所沢市教育委員会文化財保護課/編 所沢市教育委員会 1995年
p97 「今ではどこにあったものか全くわかっていませんが、鎌倉街道沿いの旧所沢宿の西のはずれに福猫塚という塚があったそうです。(後略)」との記載あり。
△『所沢市史』 所沢市史編纂委員会/編纂 所沢市 1957年
p431~432 「勘七の猫塚」の項目あり。
△『ところざわふるさと散歩』 所沢市民俗研究会/編 所沢市立中央公民館 1973年
p29~33 「福猫塚」の項目あり。
△『所沢の伝説』 所沢市立富岡公民館 1986年
p8~9 「福ねこ塚」の項目あり。
△『所沢史話』 内野弘/著 所沢市教育委員会 1974年
p141~143 「福猫塚」の項目あり。
p143~145 「勘七猫塚」の項目あり。
△『ところざわのむかしばなし』 所沢市企画部秘書広報課 1980年
p2 「福ねこ塚」の項目あり。
旧鎌倉街道の写真あり。
△『所沢の歴史と地理』 内野弘/著 内野乃布/発行 1985年
p103~104 「伝説 福猫塚」の項目あり。
p104~106 「伝説 勘七猫塚」の項目あり。
△『所沢の文化財と風土』 内野弘/著 所沢市教育委員会 1977年
p160~161 「勘七猫塚」の項目あり。
p170~171 「福猫塚」の項目あり。「旧所沢町の西方、鎌倉街道を出はずれた路ばたに、小さな塚の跡が数年前迄残っていました。」との記載あり。
△『ふるさと所沢 第1集-第2集合冊』 所沢市企画部広報広聴課編 所沢所沢市企画部広報広聴課 1987年
第2集 p23 「福猫塚」の項目あり。
p25 「勘七猫塚」の項目あり。
△『昔のところざわ』 峯岸 正雄 所沢市企画部秘書広報課 1976年
「(8)石神さま」の項目あり。
「私が当時、こども心に地蔵様のようにも見えたこの石仏は、「猫塚」であった、という人もいました。」との項目あり。
△『むかしのところざわ百景』 峯岸正雄/著 所沢市企画部秘書広報課 1983年
p115 「石神さま」の項目あり。
「鎌倉街道を南へ進んだところ(現電信電話局)の南、当時広々とし、畑の中にポツンと石仏が立っていた。(中略)子供達は誰言うとなく石神様と呼んでいたが、あるいは「猫塚」であったかもしれない。」との記載あり。
△『武蔵の伝説』 大島建彦/編著 第一法規 1977年
p137~138 「猫塚」の項目あり。
△『埼玉県伝説集成 中巻』 韮塚一三郎/編著 北辰図書出版 1976年
p148~150 「福猫塚 所沢市所沢」の項目あり。
「所沢の西方、鎌倉街道を南へ出はずれた路傍に一基の小塚がさびしく建っている。(中略)維新当時、この土地の侠客弥五郎(小金井小次郎の弟分)は福猫のために塚と堂宇をたてたが、商売繁昌の守神だというので花柳界の人気を呼び、近郷近在はもちろん、遠く江戸から参詣するものが少なくなかった。」との記載あり。
×『川越市史 民俗編』 川越市総務部市史編纂室/編纂 川越市 1982年
p139 「勘七猫塚」の項目あり。
×『所沢市史調査資料 2』 所沢市史編集委員/編 所沢市史編纂室 1975年
小字の記載あり。「福猫塚」や「勘七猫塚」に由来する地名の記載なし。
×『所沢市史調査資料 別集3』 所沢市史編さん室/編集 所沢市史編さん室 1981年
- 事前調査事項
- NDC
-
- 関東地方 (213 9版)
- 日本 (291 9版)
- 伝説.民話[昔話] (388 9版)
- 参考資料
-
- 所沢の民話と伝説 文化会館 1980 K388.134
- 埼玉ふるさと散歩 所沢市 斎藤脩治/著 さきたま出版会 1993.10 291.34 4-87891-051-8
- ところざわ歴史物語 所沢市教育委員会/編 所沢市教育委員会 2020.11 213.4
- 鎌倉街道をゆく 栗原仲道/著 埼玉新聞社 1998.12 291.3 4-87889-192-0
- 埼玉県道路地図 昭文社 2020.3 291.34 978-4-398-62680-6
- 鎌倉街道 上つ道 所沢市立埋蔵文化財調査センター/編集 所沢市立埋蔵文化財調査センター 2018 682.134
- 埼玉県の民話と伝説 入間編 栗原仲道/[ほか]編 有峰書店 1977 388.134
- 所沢市史研究 第18号 所沢市教育委員会文化財保護課/編 所沢市教育委員会 1995 K213.4
- キーワード
-
- 福猫塚
- 勘七猫塚
- 所沢
- 郷土
- 伝説
- 勘七
- 鎌倉街道
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000308209