『おかやま同郷』昭和50年12月号、p28 ”煮込み飯にどぶろく”うまい食べ物ののなかでも”岡山ずし”は特に有名、といっても、そう呼ばれ出したのは、昭和5年の陸軍大演習のときから。「陛下がお食べになり”岡山ずしはおいしい”といわれ、一般の人も”岡山ずし”と呼ぶようになった」と料理研究家の堀江文一さん(岡山市後楽園)はいう。それと現在の岡山ずしは、もっぱら”ちらしずし”をいうが”どもめし””煮込みずし”から変化したもの。岡山ずしの起源を紹介しよう。鎌倉時代、福岡の宿の渡し場(吉井川)にめし屋があり、渡し人足らを相手にめしやどぶろくを売っていた。ある日、上方へ帰る三人の武士が立ち寄り、どぶろくを注文。めしたきに忙しい亭主は三つ四つ並べてあるかめの一つを指さし「これは日がたって酢っぱいので、残りのかめのを飲んでください」とすすめる。いわれるままに手しゃくでちびりちびりやっていた武士は、かまどから漂ってくるうまそうなめしのにおいに「わたしたちにも一杯くれぬか」と頼む。亭主は「これは”煮込みめし”ですが、渡し人足たちのかてですので」と断る。むっとした武士の一人が、亭主のすきをみて、亭主が「古くて飲めない」といったかめからどぶろくをすくい、かまの中にぶちまけて帰る。やがて、めしがたけ、人足たちにふるまうと「きょうのめしはすごくうめえ」と口々に言う。首をかしげながら亭主が味ききをしてみると、ちょっとすい味があってまるほどうまい。よく見ると、かまのふちにどぶろくがかかっている。「さては、さっきの武士のいやがらせか。それにしても面白いアイデアだ」と、それ以後、煮込みめしのたき上がりに、酢っぱくなったどぶろくをうち、独特の味をしためしをうり出す。亭主がかなりどもるところから、備前の”どどめせ(めしのなまり)”と人々から親しまれるようになった。これが岡山ずしのはじまりである。 少し似ているが、これとは別の話もある。 同じ福岡の宿の渡し場に、ども安という渡し人足がいた。かなりの大食漢で、畑から大根などを引き抜いてまるかじりしたりしながら大めしを食っていた。ただ、この男、ほかの人足と違って、よくどぶろくを熱いまぜめしにかけて食べるくせがあった。「妙なことをするものだ」とほかの人足たちは気に止めることはなかったが、いつの日かある人足が酔って寝込んだども安の茶わんから盗み食いしてみると、なかなかいける。「それなら、わしもやってみるか」ということになり、次々に人足たちの間に広がっていった。ども安のめしで”どもめし”の名が付きこれが岡山寿司の始まりというのである。 この点について堀江さんは「前の話は”山陽道中すごろく”という道中日記にあり、多分、それが本当だろう。あとの話は面白おかしくつくられたのではないだろうか」と話す。 宇喜多時代は、どぶろくの代わりに醸造酢を使い、名前も”煮込みずし”と変えたが、池田藩になっても、この煮込みずしが残る。 一方では、あとで酢を合わせ、具をまぜる”祭りずし””備前ずし”が作られるようになった。そして”一菜一汁”の節約令が出て、庶民たちはすしの上にサワラやエビなどをのせるようになる。 「煮込みずしは”お袋の味”といえるし、うまさも抜群。いつまでも残したいもの」と堀江さん。 そこで、堀江さんに煮込みずしの作り方を話してもらうとー。 中に入れる具は、煮込みで飯とほぼ同じ、ニンジン、ゴボウ、タケノコ、小芋、シイタケ、マツタケなど季節のものを入れる。この中で、特に小芋はかかせない。それに焼きアナゴかトリ肉を加えると、味がぐんとよくなるし、貝類やエビをいれると高級になる。 煮込みで飯をたく要領に味付けし、火をとるときに普通のすしと同量の酢をふりかけ、ふたをして蒸す。ガスや電気がまの場合は、スイッチが切れた直後に酢をすばやくふりかける。(山陽新聞より)