レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年11月11日
- 登録日時
- 2017/03/29 00:30
- 更新日時
- 2022/08/01 21:25
- 管理番号
- 県立長野-14-151
- 質問
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新潟県長岡市の田崎家に、長野の煙火大会でもらった記念旗(「長野煙火」という文字と「一等」を図案化した模様がある)があり、これをもらった年は明治41年と伝わっているが、これを確認したい。当時の煙火大会の結果や旗の写真が掲載されている資料はないか。
田崎家では、明治36年11月の長野市大煙火会の一等と、明治41年11月の長野県主催全国煙火大競技会の名誉金牌・優勝旗・銀牌賞を受賞したと伝わっている。
- 回答
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『信濃毎日新聞』明治36年(1903年)11月25日第3面に以下の記事がある。
◎煙火商品授与式 長野市恵比寿講大煙火競技会の審査会は一昨日五明館に開き左の如く決定した
り
優等 須坂 篠広
一等 長岡 田崎
(以下表彰者略)
明日城山館に於て賞旗授与式を行ひ後懇親会を開く筈なるが優等旗は緋緞繻に金糸縫、一等賞旗は
緋綸繻に金糸縫(以下略)
『信濃毎日新聞』明治明治41年(1908年)11月8日第2面に以下の記事がある。
●煙火受賞者
六日午後一時善光寺に於て追善会を催し午後四時共進会大会場に於て久賀総裁臨場の上商品授与式
を開き(中略)
とあり、この部分の末に「表彰旗を尺八寸出品高野一道氏に交付せり」とあるが、優勝旗があったという記載や、田崎氏への旗の授与の記載は確認できない。田崎氏については、
名誉金牌 尺 長岡 田崎藤蔵
銀牌受賞者 越後白来 田崎藤蔵
の2例があるのみ。
明治41年の恵比寿講の煙火大会についても11月23日第3面に褒章授与式の結果が報じられており(明治41年の11月には大きな煙火大会が5日と20日の2回あった)、一等旗(塩瀬地旗)の授与もあったようだが、授与者には田崎氏とは別の方の名がある。
『日本で一番美しい晩秋の花火』 長野商工会議所 2006 【N386/148】p.37や『長野の花火は日本一』武藤輝彦著 信濃毎日新聞社 2001【N575/10】巻末資料p.20などによると、明治41年は11月5日同様の煙火共進会が4月18日にも開催されている。
4月20日の『信濃毎日新聞』第2面に褒賞授与者の記載があるが、こちらにも田崎氏は見られない。
- 回答プロセス
-
1 当館契約の「信濃毎日新聞データベース」で、依頼館から情報があった明治36年と明治41年の11月の紙面を調査する。
明治36年11月25日第3面、明治41年11月8日第2面に田崎氏の名前が掲載されている煙火大会の表彰に関する記事がある。
明治36年11月(「恵比寿講の花火大会」)に「緋綸繻に金糸縫」の一等旗が授与されているが、明治41年11月の「善光寺平煙火師の主催による全国煙火大競技大会」(「恵比寿講の花火大会」とは別の大会)の旗が授与されたのは田崎氏ではない。
明治41年11月の「恵比寿講の花火大会」に関する記事も確認。一等旗(塩瀬地旗)授与があったようだが、授与されたのは田崎氏ではない。
2 明治37年から明治40年までの「恵比寿講の花火大会」の記事も確認。田崎氏の表彰に関する記事は見当たらない。
3 「恵比寿講の花火大会」については、『長野市恵比寿講煙火沿革史』百瀬長九郎編 金華堂書店 1925【N212/54】があるが、当時の表彰記録のようなものはない。
4 『日本で一番美しい晩秋の花火』『長野の花火は日本一』によると、明治41年は11月のほかに、4月にも善光寺平煙火師の主催による競技大会が実施されている。4月の紙面を「信濃毎日新聞データベース」で確認。4月20日第2面に表彰に関する記事があるが、表彰者に田崎氏はない。
5 『長野』第208号(特集 煙火(花火)) 長野郷土史研究会 1999を見る。また、この号で「長野市祭り煙火」を書いている山口立雄氏が煙火について書いた他の号(220、226、228号)も確認するが関連する記載なし。
- 事前調査事項
- NDC
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- 燃料.爆発物 (575 10版)
- 年中行事.祭礼 (386 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 煙火
- 花火
- 表彰
- 花火大会
- 恵比寿講
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000213073