レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20180219
- 登録日時
- 2023/04/25 16:26
- 更新日時
- 2023/06/28 14:37
- 管理番号
- 水戸中2023-002
- 質問
-
解決
『三貨図彙』に、1600年代の水戸藩の貨幣鋳造について記述があった。
①鋳造場所が複数あったようだが、どこかわかるか。②それらと現在の場所が対照できる資料はあるか。
- 回答
-
①当時の田町、煙草町、向町。
②『水戸市史 上』(水戸市役所, 1991)
『水戸の町名』(茨城歴史地理の会 編、水戸市, 1985)
『水戸市まちなか観光マップ 「本町・城東エリア」』(水戸市HP・現在は閲覧不可)によると、以下の通り。
田町=現在の浜田町
煙草町(裡五丁目)=現在の本町三丁目
向町=現在の大工町付近
現在の地名と対照できる資料として、『古地図と歩こう!水戸の城下町マップ 天保元年(1830年)』(茨城大学図書館, 2009)を案内した。
③また、質問の範囲ではないが、水戸藩の鋳銭座に関する参考資料として、以下を案内した。
『水戸鋳銭座資料Ⅰ』『 同 Ⅱ』…明和年間~太田の鋳銭座についての一次資料集の翻刻
『近世の研究 第5冊』(210.5)
HP日本銀行金融研究所貨幣博物館の日本銀行金融研究所ホームページ論文検索
- 回答プロセス
-
①『三貨図彙』は未所蔵のため確認できなかったが、『近世史の研究 第5冊』(210.5)に水戸藩での寛永時代(1600年代)の貨幣鋳造について記した箇所があり、鋳造場所として挙げられていた当時の田町、煙草町、向町の地名が確認できた。
②現代との町名の対照については、『水戸市史 上』に、水戸の城下町の市域が広がって新たな地名がつけられた経緯や産業などが記されており、田町の鋳造座についても記載がある。
『水戸市まちなか観光マップ 「本町・城東エリア」』によると、浜田町3丁目に、鋳銭座が由来の「銭谷稲生神社」が名所として記されている。
『水戸の町名』により、煙草町(裡五丁目)=現在の本町三丁目、向町=現在の大工町付近、が確認できる。但し、鋳銭座の記載はない。
『古地図と歩こう!水戸の城下町マップ 天保元年(1830年)』は、時代が違うものの、浜田の鋳銭座跡の記載もあり、他の町名も寛永年間と変わらないようなので、現代の地図と対照できるものとして案内した。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 貨幣.通貨 (337)
- 関東地方 (213)
- 参考資料
-
-
水戸市史編さん委員会/編 , 水戸市史編さん委員会 , 水戸市. 水戸市史 上巻. 水戸市役所, 1991-12.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I062821173-00 -
伊東多三郎 著 , 伊東, 多三郎, 1909-1984. 近世史の研究 第5冊 (領国・鉱山・貨幣). 吉川弘文館, 1984.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I003219980-00 , ISBN 4642032355 -
茨城歴史地理の会 編 , 茨城歴史地理の会. 水戸の町名 : 地理と歴史 改訂. 水戸市, 1985.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001776162-00 -
古地図と歩こう! 水戸の城下町マップ : Walking to historic sites. 茨城大学図書館, 2009.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I006431126-00
-
水戸市史編さん委員会/編 , 水戸市史編さん委員会 , 水戸市. 水戸市史 上巻. 水戸市役所, 1991-12.
- キーワード
-
- 貨幣
- 貨幣鋳造
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000332455