レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年11月14日
- 登録日時
- 2021/03/03 16:08
- 更新日時
- 2021/07/11 11:54
- 管理番号
- 埼熊-2020-103
- 質問
-
解決
熊谷旧陸軍飛行学校で特攻の教育をしていた藤井一が住んでいた場所を知りたい。荒物問屋のナカジマさんの離れを借りていたらしい。
- 回答
-
以下の資料と情報を提供した。
1 図書
『有終の日々に生きて』(中島喜美子著 ケーエヌクリエーション 1993)
p41-43「10 栄町の誕生と栄町自治会の再出発」
「私どもは昭和十四年八月に中島の本家より分家し現住所に移りました。」とあり。奥付に深谷市の住所の記載あり。
p47-52「12 特攻隊 藤井肇中尉一家の悲劇」
p49「私どもにも奥座敷に八畳二間空いていましたので、町内会長の役柄率先して中尉に貸すことにしました。」とあり。
『戦争体験談作品集 戦後50年記念誌』(深谷市福祉健康部福祉課編 深谷市 1995)
p25 中島喜美子著「藤井中尉一家の悲劇」
「私共の離れに住んでいた熊谷飛行学校中隊長藤井中尉一家(後略)」とあり。
2 インターネット情報
《聞蔵IIビジュアル》(朝日新聞社)
「特攻隊、初の出撃から50年 中尉の妻は2児を連れ自殺(第2報)」『朝日新聞 1994年10月16日 朝刊 31面』
「荒物問屋を営む中島さん方は、そのころ町内会長で、藤井中尉一家に離れを貸していた。」とあり。
- 回答プロセス
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1 《Google》(http://www.google.co.jp/ Google)を〈藤井一 & 特攻隊〉で検索する。
『有終の日々に生きて』の情報に、町内会長をしていた著者が中尉に貸間を提供する経緯について記述あり。
2 自館目録を〈藤井一〉〈知覧 & 特攻〉〈特別攻撃隊〉で検索する。
3 《聞蔵IIビジュアル》(朝日新聞社)を〈藤井一 & 特攻隊〉で検索する。
4 《ヨミダス歴史館》(読売新聞社)を〈藤井一 & 特攻隊〉で検索する。
5 《毎索》(毎日新聞社)を〈藤井一 & 特攻隊〉で検索する。
6 《Google ブックス》(http://books.google.co.jp/ Google)を〈藤井一 & 特攻〉で検索する。
7 戦争体験に関する深谷市の資料を確認する。
〈その他調査済み資料・情報〉
『特別攻撃隊全史』(特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会編 特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会 2008)
『陸軍航空特別攻撃隊史』(生田惇著 ビジネス社 1977)
『空のかなたに 特攻おばさんの回想 出撃・知覧飛行場』(朝日新聞西部本社編 葦書房 1990)
『ホタル帰る 特攻隊員と母トメと娘礼子』(赤羽礼子、石井宏著 草思社 2001)
『軍人軍属短期在職者が語り継ぐ労苦 10 平和の礎』(平和祈念事業特別基金編 平和祈念事業特別基金 2000)
ウェブサイト・データベースの最終アクセス日は2019年11月14日。
- 事前調査事項
- NDC
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- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 陸軍 (396 9版)
- 参考資料
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- 『有終の日々に生きて』(中島喜美子著 ケーエヌクリエーション 1993)
- 『戦争体験談作品集 戦後50年記念誌』(深谷市福祉健康部福祉課編 深谷市 1995)
- キーワード
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- 藤井 一(フジイ ハジメ)
- 特別攻撃隊
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000294648