レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20140528
- 登録日時
- 2018/12/28 00:30
- 更新日時
- 2018/12/28 00:30
- 管理番号
- 1002043
- 質問
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解決
首里市が、首里城を取り壊そうとした理由を知りたい。
- 回答
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①
『甦る首里城 歴史と復元』(首里城復元期成会 編・刊、1993.3)
p296-299 「大正の取り壊し決議」の記述がある。
p297 「一九二一(大正十)年五月二十日、首里区は市に昇格した。…市当局は老朽大破した正殿の修復維持に要する莫大な費用のことで悩まされたが百計つきてついに大正十二年、正殿を取り壊すことを決議した。」の記述がある。
②
『沖縄県庶民史』(川平 朝申 著、月刊沖縄社、1974.5)
p207 「これと同じように、首里城正殿も破損してきたため、首里市役所では大正十二年、思案の結果、正殿をとりこわすことに決め、城内に源為朝、尚真、尚敬、尚泰をまつった沖縄神社を建設することにしました。」の記述がある。
③
『東恩納寛惇新聞切抜帳 [複製本] 2』
p43 「首里城正殿取壊事業中止の経緯(此書を特に高嶺首里市長に呈す) 東恩納寛惇」の連載記事の切抜きがある。中・下のみ。上は欠。
④
『沖縄朝日新聞 大正13年6月?大正14年12月』([沖縄県立図書館]、1993.3)
「琉球紀行(続き) 工学博士 伊藤忠太」の連載記事で、「…膨大なる建築の修理維持が貧弱なる首里市に取ては容易ならぬ事なので当局者も久しく頭を悩まし来つたのであるが百計尽きたものと見へ終に之を取り毀つことに決定し…」の記述がある。大正14.3.10
⑤
『首里城への坂道』(与那原 恵 著、筑摩書房、2013.7)
p121-125 「首里城取り壊し!」の項目で、p125 「大正十二年三月、内務省は、源為朝をふくめた五神の県社創建案を許可した。同年九月、県は首里城を取り壊すことを決定。けれども、すぐさま取り壊しては県民の反発が大きいことを考慮したのか、猶予期間がおかれ、首里城正殿「取り壊し式」は翌年、大正十三年四月七日と決まった。」の記述がある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 歴史 (2)
- 参考資料
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- 甦る首里城 歴史と復元 首里城復元期成会/編 首里城復元期成会 1993.3 (p296-299)
- 沖縄県庶民史 川平 朝申/著 沖縄文庫 月刊沖縄社 1974.5 (p207)
- 東恩納寛惇新聞切抜帳 [複製本] 2 (p43)
- 沖縄朝日新聞 大正13年6月?大正14年12月 [沖縄県立図書館] 1993.3 (大正14.3.10)
- 首里城への坂道 与那原 恵/著 筑摩書房 2013.7 , ISBN 4-480-81836-2 (p121-125)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000249447