レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年03月07日
- 登録日時
- 2023/04/12 14:36
- 更新日時
- 2023/04/12 14:36
- 管理番号
- 福郷-200
- 質問
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解決
蒙古襲来文永の役当時の箱崎について書かれた文献があれば見たい。
- 回答
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参考資料1『わが町はこざき』
p.22-23「第三章 鎌倉期の筥崎宮 二 文永の役」に以下の記述あり。
「蒙古軍は、十月二十日、箱崎をはじめ、博多湾西部の今津~百道原に上陸し、祖原(そはら)・鳥飼・別府・赤坂と激戦が展開されました。」
「戦いは一方的に元軍が優勢でした。」
「勝敗が決せぬまま蒙古軍は、何故か船に引き揚げました。」
記述は、『蒙古襲来研究試論』を参考にしたとある。
参考資料2『元寇史実の梗概』
p.1-5「三 文永の役」に
箱崎八幡宮の火災についての記述あり。
「詳細の状況八幡愚童記に記し」とある。
参考資料3『蒙古襲来』
p.96「七 文永の役 敵上陸軍の作戦行動」
激戦による戦火のために箱崎八幡宮社殿が罹災したとのこと。
参考資料4『蒙古襲来の研究 増補版』
p.16「第一章 文永初度の合戦 二 合戦の経過 博多湾沿岸に於ける激戦」
「筥崎八幡宮が兵火に罹って焼失した。」とある。
参考資料5『筥崎宮史』
p.586「筥崎宮編年史料古代中世編 文永十一年(一二七四)」
筥崎宮から逃げる記述あり。
「〔八幡愚童訓〕「大宰府・太宰府天満宮史料」所収。」とある。
参考資料6『大宰府・太宰府天満宮史料』第八巻
p.217「文永十一年十月十九日」に「是日、筥崎八幡宮兵火にかゝりて焼亡す、」とある。
参考資料7『アジアのなかの博多湾と箱崎』
p.72-75コラムに「箱崎の元寇防塁」がある。
文永の役後の箱崎の防塁についての記述あり。
- 回答プロセス
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「箱崎」と「蒙古襲来」をキーワードに文献を検索し、文献内の参考資料も併せて調査した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 10版)
- 参考資料
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- わが町はこざき [箱崎歴史ガイドボランティア] [箱崎歴史ガイドボランティア] [2010.6] K226/1/ワ (p.21-23)
- 元寇史実の梗概 武谷 水城/著 大道学館出版部 1931.10 K209/4/Sゲ (p.1-5)
- 蒙古襲来 竜 粛/著 至文堂 1966 K209/4/モ (p.96)
- 蒙古襲来の研究 相田 二郎/著 吉川弘文館 1982.9 K209/4/モ (p.14-17)
- 筥崎宮史 広渡 正利/編校訂 文献出版 1999.8 K175/261/ハ (p.585-589)
- 大宰府・太宰府天満宮史料 巻8 竹内 理三/編纂 太宰府天満宮 1972 K250/000/ダ (p.217)
- アジア遊学 224 勉誠出版 2018.10 K226/1/ア (p.72-75)
- キーワード
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- 筥崎宮 箱崎 元寇 蒙古襲来 文永の役 箱崎八幡宮 博多
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000331981