レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/04/09
- 登録日時
- 2022/04/27 00:30
- 更新日時
- 2022/04/27 09:25
- 管理番号
- 所沢吾妻-2022-001
- 質問
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解決
「小河一敏(おごうかずとし)」という人物について知りたい。
- 回答
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下記の資料に記載があります。
【図書】
〇『講談社日本人名大辞典』 上田正昭/[ほか]監修 講談社 2001年
p429「小河 一敏」の項に記載あり。
〇『ビジュアル幕末1000人』 世界文化社 2009年
p125「小河 一敏」の項に記載あり。
【インターネット】
〇「ADEAC(アデアック):デジタルアーカイブシステム」
(https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/2714005100/2714005100100070/ht004970)
『堺市史 第七巻(別編)』 三浦周行/監修 清文堂出版 1966年
p435~p440 第一編 人物誌 第四章 整頓期(明治維新以後) (一)「小河一敏」
- 回答プロセス
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1、所蔵資料の内容確認
〇『講談社日本人名大辞典』 上田正昭/[ほか]監修 講談社 2001年
p429「小河 一敏」の項に下記のような記載あり。
「江戸後期-明治時代の武士、官僚。文化10年1月21日生まれ。小河一順(かずのぶ)の養父。豊後(大分県)岡藩士。儒学、国学にすぐれ、藩の参政となるが、保守派と対立して失脚。文久2年京都で尊攘派の挙兵をはかり失敗。新政府では堺県知事、宮内権書記官、宮内省御用掛などとつとめた。明治19年1月31日死去。74歳。初名は一崇。通称は弥右衛門。著作に「再囚私記」など。」
〇『ビジュアル幕末1000人』 世界文化社 2009年
p125「小河 一敏」の項に下記のような記載あり。
「岡藩士。早くから尊王攘夷の志を持つ。1853年(嘉永6)のペリー来航を機会に、北九州各地を遊説。真木和泉らと交わる。島津久光の上洛を機に挙兵を図るが、寺田屋の変で挫折する。しかし、京都・摂津にあって、岩倉具視らに時局を説くこともあった。」
2、記載のなかった資料
×『人づくり風土記 44』 農山漁村文化協会 1998年
×『大分県の歴史散歩』 大分県高等学校教育研究会地理歴史科・公民科部会/編 山川出版社 2008年
3、インターネットで検索
〇「ADEAC(アデアック):デジタルアーカイブシステム」
(https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/2714005100/2714005100100070/ht004970)
こちらのサイトで『堺市史 第七巻(別編)』(三浦周行/監修 清文堂出版 1966年)が公開されており、その中に「小河 一敏」についての記述がある。
『堺市史 第七巻(別編)』 三浦周行/監修 清文堂出版 1966年
p435~p440 第一編 人物誌 第四章 整頓期(明治維新以後) (一)「小河一敏」
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本 (281 9版)
- 参考資料
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- 講談社日本人名大辞典 上田正昭/[ほか]監修 講談社 2001.12 281.033 4-06-210800-3
- ビジュアル幕末1000人 世界文化社 2009.12 281.04 978-4-418-09234-5
- ADEAC(アデアック)):デジタルアーカイブシステム https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/2714005100/2714005100100070/ht004970 2022/3/15
- キーワード
-
- 小河一敏
- 江戸時代
- 明治
- 幕末
- 大分県
- 堺市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000315465