レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年06月06日
- 登録日時
- 2021/10/22 14:24
- 更新日時
- 2021/11/26 19:39
- 管理番号
- 大分県立郷土-2021-014
- 質問
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佐伯市浅海井の「豊後二見ヶ浦」がいつからこのように呼ばれるようになったか知りたい。
明治~大正時代の絵葉書には「浅海井の小島」と記されているが、昭和40年代にしめ縄が張られた際に伊勢志摩の二見ヶ浦にあやかって「豊後二見ヶ浦」と称されるようになったのではと推測している。
- 回答
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地名の変更年がわかる資料は見つけることができなかったが、「豊後二見ヶ浦」という名称が使われている昭和40年前後の資料が見つかった。
【1】『2万5千分の1図歴地形図』 国土地理院/編 国土地理院
昭和2年のものには該当の島の名称として「小島」とあるが、昭和50年発行のものは「豊後二見」となっている。
【2】『5万分の1図歴地形図』 国土地理院/編 国土地理院
昭和38年は「小島」、昭和50年は「豊後二見」となっている。
【3】『町報に見る上浦町のあゆみ』 上浦町 1989.11
p251 昭和45年2月1日発行上浦町報に「豊後二見」という記述があった。
【4】「大分合同新聞記事
「豊後二見」の名称が記事の見出しとして確認できた中で最も古いものは、
昭和44年12月31日「正月化粧した豊後二見ヶ浦 上浦町 野球部員らが大しめなわ」
【5】『ガイドブック大分県』(昭和40年版) 大分県総務部秘書公聴課/編 1965
p143 「豊後二見」の記述があった。
【6】『観光佐伯』 佐伯市商工観光課,佐伯市観光協会/〔編集〕 佐伯市商工観光課 〔1965〕
昭和40年に発行された観光ガイドで、「豊後二見」の名称がある。
以上の資料から、昭和40年には既に「豊後二見(ヶ浦)」の名称が使われていたのではないかと推測できる。
- 回答プロセス
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1.地名辞典類確認。記述見つからず。
2.佐伯市関係史料確認
3.インターネット検索。昭和44年にしめ縄がかけられたことがわかった。
4.昭和44年以前の佐伯市(旧上浦町)の地図、町報、観光ガイドブック確認。
5.新聞記事見出し検索
- 事前調査事項
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明治大正期に発行された絵葉書(「浅海井の小島」と記されている)
- NDC
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- 日本 (291)
- 参考資料
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町報に見る上浦町のあゆみ : 町村制施行百周年記念. 上浦町, 1989.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I086872381-00 (p251) -
大分県 [編]. ガイドブック大分県. 大分県総務部秘書公聴課, 1965.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007893295-00 (p143) -
佐伯市商工観光課,佐伯市観光協会 〔編集〕 , 佐伯市 , 佐伯市観光協会. 観光佐伯. 佐伯市商工観光課, 1965.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I086664551-00
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町報に見る上浦町のあゆみ : 町村制施行百周年記念. 上浦町, 1989.
- キーワード
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- 豊後二見ヶ浦
- 佐伯市浅海井
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000306357