レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年01月07日
- 登録日時
- 2014/12/27 19:08
- 更新日時
- 2014/12/27 19:08
- 管理番号
- 横浜市中央2402
- 質問
-
解決
次の事項について関係資料を教えて下さい。
1 鎌倉時代や頼朝と陰陽道について
特に源頼朝が陰陽道を忌避していたかを調べています。
2 鎌倉時代の日蝕等の天文現象について
- 回答
-
関係資料をご紹介します。
1 鎌倉時代や頼朝と陰陽道について
「源頼朝が陰陽道を忌避していた」と は記されていませんが、資料から、頼朝時代
に陰陽道に関わる記録が少ないことなどがわかります。
(1) 『日本陰陽道史総説』 村山修一/著 塙書房 1981年
p.283~313 「九 鎌倉武家社会の陰陽道」
p.284~ 頼朝と陰陽道についての記述があり、p.287には「陰陽道に関しては
彼の政権安定後、積極的な信仰の様子は感ぜられず…」とあります。
(2) 「鎌倉幕府と陰陽道」 佐々木馨/著
(『日本古代中世の政治と宗教』 佐伯有清/編 吉川弘文館 2002年)
p.265~325
p.267 「…頼朝と陰陽師たちとの接触は前の仏教者に比べて断然少なく、
七事例を数えるにすぎな い。」
p.270~271 「…頼朝をめぐる宗教界は、鶴岡八幡宮を核とする神仏習合を
中心にした仏教者の奉仕に始まり、それに陰陽道的要素が付着する程度で
あったといえよう。」
(3) 「関東天文・陰陽道成立に関する一考察―特に「和田合戦」との連関について」
金沢正大/著
(『陰陽道叢書 2』 村山修一/〔ほか〕編 名著出版 1993年) p.49~66
(4) 「鎌倉と京の陰陽道」 新川哲雄/著
(「季刊日本思想史 第58号」 日本思想史懇話会/編 ぺりかん社 2001年)
p.33~59
(5) 「陰陽師と鎌倉幕府」 赤澤春彦/著
(「日本史研究 2003年12月号 第496号」 日本史研究会 2003年)
p.1~29
(6) 「鎌倉期の官人陰陽師」 赤澤春彦/著
(「鎌倉遺文研究 第21号」 鎌倉遺文研究会/編 吉川弘文館 2008年
p.22~55)
(7) 「鎌倉の都市形成と陰陽道」 河野眞知郎/著
(「国立歴史民俗博物館研究報告 第74集」 国立歴史民俗博物館
1997年 p.113~123)
p.114 「…源頼朝は仏教的素養は深いものの、陰陽道的吉凶をあまり気に
かけなかったことは、史料甲群①でよく知られるところである。」
(8) 『中世国家の宗教構造』 佐々木馨/著 吉川弘文館 1988年
p.102~116 頼朝と、頼朝没後の幕府での祈祷僧の内訳があり、その陰陽師
の数の差がわかります。
2 鎌倉時代の日蝕等の天文現象について
(1) 「『吾妻鏡』に見える天変記事を読む―鎌倉武士は天変をどう受け止めたか―」
湯浅吉美/著
(「郷土神奈川 第51号」 神奈川県立図書館企画サービス部地域情報課/編
神奈川県立図書館 2013年) p.28~44
p.30 頼朝と月蝕についての記述があります。
(2) 『古天文学の道』 斉藤国治/著 原書房 1990年
p.49~66「第三章 『吾妻鏡』の中の天文記録」
p.50には、「…源頼朝が自ら夜中に起きて彗星を望見したという記録がある。」、
p.54には「一一九八 年二月八日=建久九年正月一日己亥、右大将(頼朝)
の正月朔日蝕時の例に任せて、御所をつつ まれず。」との記述があります。
なお、特に頼朝と関連付けてはいませんが、p.67~天文と陰陽師について、
p.101~日食についての記述があります。
(3) 『暦と天文の古代中世史』 湯浅吉美/著 吉川弘文館 2009年
p.261~286 「第四章 『吾妻鏡』に見える日蝕記事の検証
―東国武家社会における日蝕の扱い」
頼朝に関する直接の記述ではありませんが、p278に「…前将軍頼嗣のとき【18】
には頼朝の先例に従って御所を裹まず、…」とあります。第Ⅲ部(p177~314)は
「中世史料と天文・暦日」で、ほかに惑星 記事や方違えについての記述もあります。
(4) 『日食月食宝典』 渡邊敏夫/著 雄山閣 1994年
日食記録対照表と食状況の一覧が載っていますので、参考までにご紹介します。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 相法.易占 (148 8版)
- 日本史 (210 8版)
- 天文学.宇宙科学 (440 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000165511