レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/12/22
- 登録日時
- 2023/03/09 00:30
- 更新日時
- 2024/03/30 00:39
- 管理番号
- M17122216387713
- 質問
-
「宮内の今昔」とその著者について知りたい。
- 回答
-
①『紫安弥寿子と生家真野家』に収録されている矢尾牛骨『宮内の今昔』によると、「山陽新報」紙上に「その一」から「その三十五」まで新聞連載記事(掲載年月日の記載なし)として掲載されたことが確認できる。
②『山陽新聞百四十年史』では、昭和19年の物故社員として「矢尾泰夫(牛骨) 合同新聞吉備支局長」と紹介されている。
③~?「山陽新報」大正4年4月から6月にかけて「宮内の今昔」の連載が確認できる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
-
岡長平『色街ものがたり』(日本文教出版)に「矢尾牛骨著『宮内の今昔』参照」とあったが、該当資料の存在が確認できない。著作権の保護期間についても確認を希望。
- NDC
-
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
-
-
①紫安新九郎『紫安弥寿子と生家真野家』大阪紫安新九郎,1941,324p. 参照はp.261-324.
②山陽新聞百四十年史編集委員会『山陽新聞百四十年史』岡山 山陽新聞社,2019,442p. 参照はp.119.
③『山陽新報』,1914年4月4日,朝刊第6面.宮内の今昔
④『山陽新報』,1914年5月1日,朝刊第3面.宮内の今昔(二)
⑤『山陽新報』,1914年5月2日,朝刊第3面.宮内の今昔(三)
⑥『山陽新報』,1914年5月3日,朝刊第3面.宮内の今昔(四)
⑦『山陽新報』,1914年5月4日,朝刊第3面.宮内の今昔(五)
⑧『山陽新報』,1914年5月5日,朝刊第3面.宮内の今昔(六)
⑨『山陽新報』,1914年5月6日,朝刊第3面.宮内の今昔(七)
⑩『山陽新報』,1914年5月7日,朝刊第3面.宮内の今昔(八)
⑪『山陽新報』,1914年5月8日,朝刊第3面.宮内の今昔(九)
⑫『山陽新報』,1914年5月9日,朝刊第3面.宮内の今昔(十)
⑬『山陽新報』,1914年5月10日,朝刊第3面.宮内の今昔(十一)
⑭『山陽新報』,1914年5月11日,朝刊第3面.宮内の今昔(十二)
⑮『山陽新報』,1914年5月12日,朝刊第3面.宮内の今昔(十三)
⑯『山陽新報』,1914年5月13日,朝刊第3面.宮内の今昔(十四)
⑰『山陽新報』,1914年5月14日,朝刊第3面.宮内の今昔(十五)
⑱『山陽新報』,1914年5月15日,朝刊第3面.宮内の今昔(十六)
⑲『山陽新報』,1914年5月16日,朝刊第3面.宮内の今昔(十七)
⑳『山陽新報』,1914年5月17日,朝刊第3面.宮内の今昔(十八)
?『山陽新報』,1914年5月18日,朝刊第3面.宮内の今昔(十九)
?『山陽新報』,1914年5月19日,朝刊第3面.宮内の今昔(二十)
?『山陽新報』,1914年5月20日,朝刊第3面.宮内の今昔(二一)
?『山陽新報』,1914年5月21日,朝刊第3面.宮内の今昔(二二)
?『山陽新報』,1914年5月22日,朝刊第3面.宮内の今昔(二三)
?『山陽新報』,1914年5月23日,朝刊第3面.宮内の今昔(二四)
?『山陽新報』,1914年5月24日,朝刊第3面.宮内の今昔(二五)
?『山陽新報』,1914年5月27日,朝刊第3面.宮内の今昔(二六)
?『山陽新報』,1914年5月28日,朝刊第3面.宮内の今昔(二七)
?『山陽新報』,1914年5月29日,朝刊第3面.宮内の今昔(二八)
?『山陽新報』,1914年5月30日,朝刊第3面.宮内の今昔(二九)
?『山陽新報』,1914年5月31日,朝刊第3面.宮内の今昔(三十)
?『山陽新報』,1914年6月1日,朝刊第3面.宮内の今昔(三一)
?『山陽新報』,1914年6月2日,朝刊第3面.宮内の今昔(三二)
?『山陽新報』,1914年6月3日,朝刊第3面.宮内の今昔(三三)
?『山陽新報』,1914年6月4日,朝刊第3面.宮内の今昔(三四)
?『山陽新報』,1914年6月5日,朝刊第3面.宮内の今昔(三五)
-
①紫安新九郎『紫安弥寿子と生家真野家』大阪紫安新九郎,1941,324p. 参照はp.261-324.
- キーワード
-
- 門前町
- 吉備津
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2017122216371987713
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢, 高校生, 中学生
- 登録番号
- 1000329968