レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20231101
- 登録日時
- 2023/11/25 00:30
- 更新日時
- 2023/11/30 13:38
- 管理番号
- 0400000229
- 質問
-
解決
中川清秀、中川氏について知りたい
- 回答
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『新修茨木市史 第2巻 通史2』(茨木市史編さん委員会/編 茨木市 2016)
P2-55中川清秀と中川氏、茨木城について詳細に書かれている。
『新修茨木市史 第9巻 史料編 美術工芸』((茨木市史編さん委員会/編 茨木市 2008)
P141清秀の菩提寺である梅林寺についての記述がある。
P34口絵65に中川清秀像のカラー写真、P142図167には白黒写真、図168に中川清秀像賛が掲載されており、肖像画についての解説がある。
『中川家文書』(神戸大学文学部日本史研究室/編 臨川書店 1987)
豊後国岡城主中川家の文書のうち、神戸大学文学部日本史研究室が所蔵する「中川家文書」全点を収録したもの。文書の年代が確定しているものは天正八年から文化二までの期間で、年代不詳の資料も多く掲載されている。
『わがまち茨木 人物編 第2版』(茨木市 2002)
P44和田惟政、P48-50中川清秀、P53-54荒木村重の項にそれぞれ清秀について記述がある。
『戦国摂津の下克上 高山右近と中川清秀』(中西裕樹/著 戎光祥出版 2019)
右近と清秀について、戦国の幕開けから戦国摂津の終焉までの情勢とともに論じている。
『戦国武将中川清秀と茨木』(茨木の歴史を知り学ぶ会/編 2016)
中川清秀、茨木城、白井河原の合戦、中川家の人々等、幅広く論じられている。
『いばらきの歴史を探ろう!』(茨木市立文化財資料館/編 2015)
中世編P11-12子どもむけに書かれたパンフレット。「中世編」に中川清秀とその子孫について記述がある。
PDFが公開されている。
https://www.city.ibaraki.osaka.jp/material/files/group/109/chuseihen.pdf(2023年8月確認)
『摂州茨木十二万石中川清秀伝』(石田道仁/著 eブックランド社 2015)
P87-110「三.郡山合戦」「四.茨木城攻め」の項で清秀を中心に書かれている。
『藩鑑 9 巻之二百四十六-二百七十七 た部三十二-む部』(汲古書院 1987)
P308-314江戸時代に幕府が編纂した諸大名の記録。P308-314に中川清秀の記述がある。翻刻版。
『歴史懇談 第5号』(大阪歴史懇談会 1991)
P120-125「北摂地方における中川清秀と、その家臣団の動向(1)」(小村克己:著)中川氏について家系図と永禄十二(一五六九)年まで年代順の概要が書かれている。
(なお『歴史懇談 第六号』P105にP121上「吉田佐助重勝」は「古田佐助重勝もしくは古田佐助重然」、P121上「糸」は「絲」、P222(P122の誤り)下「糸」は「絲」という正誤表がついている。)
『歴史懇談 第6号』(大阪歴史懇談会 1992)
P61-64「北摂地方における中川清秀と、その家臣団の動向(2)」(小村克己:著)(1)に続き中川氏とその周辺のできごとについて元亀元(一五七〇)年から元亀二(一五七一)年まで年代順の概要が書かれている。
『歴史懇談 第7号』(大阪歴史懇談会 1993)
「北摂地方における国人層の動向(3)」(小村克己:著)というタイトルで、北摂の国人を中心に、白井河原の合戦等中川氏にも触れられている。
『歴史懇談 第8号』(大阪歴史懇談会 1994)
P48-51「北摂地方における国人層の動向(4)」(小村克己:著)天正二(一五七四)年から天正七(一五七九)年北摂の国人を中心に中川氏にも触れられている。
『歴史懇談 第9号』(大阪歴史懇談会 1995)
P49-53「北摂地方における国人層の動向(5)」(小村克己:著)天正八年から天正十年について、多くは北摂の国人について書かれており、中川清秀については山崎合戦の項に記述がある。
『歴史懇談 第10号』(大阪歴史懇談会 1996)
P62-65「北摂地方における国人層の動向(6)」(小村克己:著)中川清秀と家臣団の行動のまとめとともに、「中川氏御年譜」から清秀の最期の描写が引用されている。
『歴史懇談 第13号』(大阪歴史懇談会 1999)
P26-30「乱世を生き抜いた中川瀬兵衛清秀」(安居隆行:著)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 茨木市
- 中川清秀
- 中川氏
- 歴史
- 人物
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000342461