レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2006年12月12日
- 登録日時
- 2007/02/12 11:21
- 更新日時
- 2015/03/29 18:13
- 提供館
- 岐阜県図書館 (2110001)
- 管理番号
- 岐県図-0795
- 質問
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解決
奈良の大仏を作ったとされる「日野金丸」と「国中連公麻呂」は同一人物か。
- 回答
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1 『岐阜県人物文献索引』を使用し、「日野金丸」を引くと『岐阜市史通史編 原始・古代・中世』『美濃国稲葉郡志』に記述があることが分かるが、同資料にはレファレンス事例636に掲載している文章しか記述がない。
2 『岐阜市史通史編 原始・古代・中世』では、護国之寺(ごこくしじ)の本尊と仏鉢の由来のなかに「金王丸」の名が見え、『新撰美濃志』『岐阜県史 通史編 古代』から引用していることが分かる。
3 『新撰美濃志』『岐阜県史 通史編 古代』では、雄総村の項目中「護国之寺」について寺伝からとして、金王丸の話を記載している。護国之寺寺伝の写本・活字本は所蔵しておらず、内容を確認することができなかったた。
護国之寺のウェブページによると、この話は「東大寺縁起絵巻」の中巻に同じ話があり、「美濃国雄総」の地名も見られるとしている。
また、岐阜日日新聞1996年1月22日紙面には、「岐阜市歴史博物館これくしょん」(60)という連載記事で「東大寺縁起絵巻」を取り上げており、次のように記述されている。
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「東大寺の大仏鋳造を指揮したのは、今の岐阜市日野に住んでいた金丸という童であるという伝説がある。この伝説の元になったと思われるのが東大寺縁起。これは全三巻あり、そのうち中巻に天皇が大仏をつくる仏師を探しに勅使を派遣するところから、大仏が開眼するあたりまで描かれている。この資料は桃山時代に写されたもので、勅使が岐阜市雄総でその童に出会う場面。残念ながら縁起にはその童の名前は記されていない。実際に指導したのは、渡来系氏族出身の国中君麻呂で、キンマロという発音もこのキミマロからきているようだ。」
以上のように、地元においても「日野金丸」については資料が少なく、実在したのか伝説上の人物かも明らかではない。
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4 なお、調査した資料の中では「日野金丸」にからめて「国中君麻呂」の名にふれたものは岐阜日日新聞だけで、同一人物であるという考え方は見られなかった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 『美濃国稲葉郡志』(稲葉教育会,1915 大衆書房による復刻1969 郷土書庫:222/ミ)
- 『岐阜市史通史編 原始・古代・中世』(岐阜市,1980 郷土:221/ギシ/1
- 『新撰美濃志』(一信社,1931 大衆書房による復刻1969 郷土:211/シ)
- 『岐阜県史 通史編 古代』(岐阜県,1971 郷土:201/ギケ/2)
- 護国之寺ウェブサイト(http://www.ne.jp/asahi/gifu/gokokushiji/gokokushijiHP-TOP.index.html 2007年1月確認)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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関連レファレンス事例:岐県図-0636(https://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000024054 2007年2月確認)
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000033370