レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/10/25
- 登録日時
- 2023/10/08 00:30
- 更新日時
- 2023/10/08 10:23
- 管理番号
- 0000001542
- 質問
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解決
金沢の医者の娘が本多政以の息子に嫁いでいると思うが、その医者の名前が知りたい。古坊といった姓だったと思う。
- 回答
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結論から言うと、金沢の医者の娘が本多政以の息子に嫁いだのではなく、金沢の医者の息子「古丸藤太」氏が本多政以の娘「正」(タダ)と結婚したのだと思われる。
『平成新修旧華族家系大成 下巻』p524の系図より「正」古丸藤太夫人 明治33.12生 昭和47年5月2日没とあることから「古丸」氏と本多政以について調査する。
(系図より子息たちの夫人の〇〇氏三女などの肩書に古坊はなかったことから、古がつく古丸氏をあたることにした)
『華族大観』西邑木一 編 華族大観刊行会, 昭14 男爵本多政樹(マサキ)家 p547-548
https://dl.ndl.go.jp/pid/1684679/1/280(国立国会デジタルコレクション)の
本多政以の長男・男爵本多政樹(マサキ)一家についての記述(p548)中に「令妹(略)同正(明治33年12月生)は石川県の人、工学博士古丸藤太夫々婚家せられ(略)」とある。
『遺徳顕彰録 第2輯』 P128-
https://lab.ndl.go.jp/dl/book/1072322?keyword=%E5%8F%A4%E4%B8%B8%E8%97%A4&page=147( 国立国会図書館デジタルコレクション)
「古丸藤太」の項
明治26年4月29日 古丸藤三郎氏の長男として金沢市に生まれたとあり、p132には令室正夫人は本多男爵の令嬢との記述あり。
古丸藤三郎氏については『金沢明覧』p524に「眼科 古丸藤三郎河原町」とあり、「古丸藤三郎」氏の子息が「古丸藤太」氏であることが判明。
以上のことから、本多政以の娘「正」(タダ)が金沢の眼科医「古丸藤三郎」氏の息子である「古丸藤太」氏に嫁いだと思われる。
- 回答プロセス
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『平成新修旧華族家系大成 下巻」p524の本多政光の系譜を確認したところ、夫人名に「古坊」といった姓が見当たらず、娘「正」(タダ)が同じ古が付く姓に嫁いでいることが判明。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 1 平成新修旧華族家系大成 下巻 霞会館華族家系大成編輯委員会?編纂 霞会館 1996.11 361.81/カス ヘ/2 524
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2 金沢明覧 新版 和田 文次郎∥編 北光社 1904.3 K222/58
- キーワード
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- 本多政以
- 医師
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000339507