レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年11月07日
- 登録日時
- 2014/12/26 14:48
- 更新日時
- 2019/03/03 11:58
- 管理番号
- 鎌中-2014144
- 質問
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解決
歌の橋の由来となった、渋川兼守が荏柄天神社に奉納したという和歌十首を知りたい。
- 回答
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◆「歌の橋」の由来は、謀反の罪で罰せられることになった渋川兼守が、和歌十首を詠んで荏柄天神社に奉納したところ、将軍・源実朝がこの歌を見て感動し、罪を許した。助かった兼守がお礼に作った橋が「歌の橋」とよばれるようになった、というものです。
◆兼守の和歌は伝わっていません。(『鎌倉史跡事典』歌の橋の項より)
- 回答プロセス
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①元になった記事を見る。『吾妻鏡人名索引』で兼守が登場する記事を探す。
②『吾妻鏡』健保元年二月十五・十六・二十五・二十六日条が元になった記事。
全部見るが和歌は載っていない。
③実朝とのエピソードなので、実朝の伝記をチェックする。金槐和歌集も年のためチェックする。→載っていない。
④『大日本史料』で健保元年二月十五日条を確認する。→載っていない。
⑤歌の橋について調べる。『鎌倉の地名由来事典』『鎌倉なるほど辞典』『鎌倉子ども風土記』『鎌倉史跡事典』。歌の橋のエピソードは載っているが、若は載っていない。
『鎌倉史跡事典』の歌の橋の項に「兼守の和歌は伝わっていない」とあった。
⑥渋川兼守について調べる。『中世前期上野の地域社会』(P230),『群馬県史 資料編』→和歌は載っていない。
結局和歌は載っていなかった。伝わっていないということでよいか。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 8版)
- 日本 (291 8版)
- 詩歌 (911 8版)
- 参考資料
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- 『鎌倉史跡事典』 奥富敬之 新人物往来社 1999 【291.3】
- 『吾妻鏡 第二(新訂増補国史大系)』 吉川弘文館 1968 【K1 210.42】
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『大日本史料 第四編之十二』 東京帝国大学史料編纂所 大正元 【R 210.08】
健保元年二月十五日条 - 『鎌倉の地名由来辞典』 三浦勝男 東京堂 2005 【291.3】
- 『鎌倉なるほど事典』 楠本勝治著 三浦勝男監修 実業之日本社 2002 【K1 291.3】
- 『鎌倉子ども風土記 第13版』 鎌倉市教育センター 鎌倉市教育委員会 2009 【291.3】
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『中世前期上野の地域社会』 久保田順一 岩田書院 2009 【K 213.3】
P230 渋川兼守について
- キーワード
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- 渋川兼守 しぶかわ かねもり
- 歌の橋 うた の はし
- 源実朝 みなもと の さねとも
- 荏柄天神社 えがらてんじんしゃ
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000165452