レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年11月08日
- 登録日時
- 2014/03/21 16:08
- 更新日時
- 2014/06/04 11:35
- 管理番号
- 埼熊-2013-134
- 質問
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解決
中国が明、清の時代に、台湾が中国領であったとする文献があるか知りたい。
- 回答
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以下の資料に関連する記述があった。
『台湾史』(山崎繁樹、野上矯介共著 宝文館 1927)
p5-8「台湾は和蘭人が来つて統治を治むる前に、元明等の支那人によつて多少施設経営された所あるも、地理的範囲は澎湖に止まり、敢て驥足を澎湖以外に伸すことが出来ず、またその統治すらも土民の叛服常なきと海賊の跳梁とにより治績を挙げ得ず、その経営混沌として見るに足るものがない。」
p158-159「康煕22年(1638)鄭氏を滅ぼして、之れを清領に加へたのは実に今を去る約250年前である。」
p161「(中略)遂に此の議は清朝に用ゐられ、翌康煕23年(1684)台湾を以て一府とし、福建省に隷属して永く台湾を清国の領土とし統治することになつたのである。」との記述あり。
『鄭氏台湾史 鄭成功三代の興亡実紀(汲古選書37)』(林田芳雄著 汲古書院 2003)
p255-303「Ⅴ 鄭氏政権の終焉と清国の台湾領有」の章に、台湾の鄭氏政権と清朝との争いの歴史的経過、清朝の対台湾政策の推移や17世紀の中国人の台湾認識等について、史料を基にした記述あり。
『アジア歴史事典 6』(平凡社 1960)
p75-78「台湾」の項に「清朝では(中略)1684(康煕23)年台湾府をもって福建省に隷属させ、台湾・鳳山・諸羅3県をおいて統治させることになった。」との記述あり。
『図説台湾の歴史 増補版』(周婉窈著 濱島敦俊監訳 石川豪[ほか]訳 平凡社 2013)
p48に「中国と台湾に本当に密接な関係が生まれるのは、明朝中期以降のことである(中略)今日台湾と澎湖諸島は一体であるが、鄭成功時代より以前、台湾と澎湖諸島はそれぞれ別の歴史の道筋を持っていた。澎湖諸島と中国との関係の発生は、きわめて早く(中略)元朝のとき、澎湖諸島は正式に元帝国の一部となった。しかしわずかに一海を隔てたのみの台湾は、清朝になってその版図に入り、中国の一部となったのである。」との記述あり。
『台湾を知る 台湾国民中学歴史教科書』(国立編訳館主編 蔡易達、永山英樹訳 雄山閣出版 2000)
p19「国際競争時期」の章に「澎湖は明朝の版図であった」と記述あり。
p38「清朝時代前期」の章の提要に「1683年(清・康煕22年)、鄭氏は清に降伏し、翌年清朝は台湾に1府3県を設け、その後あいついで庁と県を増設した。清朝は台湾統治に消極的で、漢人の来台を制限し、同時に漢人が原住民地区に侵入することも厳禁にした。」との記述あり。
- 回答プロセス
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NDC分類〈222〉の資料を調査した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 中国 (222 9版)
- 参考資料
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- 『台湾史』(山崎繁樹、野上矯介共著 宝文館 1927)
- 『鄭氏台湾史 鄭成功三代の興亡実紀(汲古選書37)』(林田芳雄著 汲古書院 2003)
- 『アジア歴史事典 6』(平凡社 1960)
- 『図説台湾の歴史 増補版』(周婉窈著 濱島敦俊監訳 石川豪訳 平凡社 2013)
- 『台湾を知る 台湾国民中学歴史教科書』(国立編訳館主編 蔡易達、永山英樹訳 雄山閣出版 2000)
- キーワード
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- 台湾-外国関係-中国
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000151042