百人衆の名前がわかる資料は見つかりませんでした。
参考までに、根来衆及び彼らが葬られた根来塚に関連する情報が確認できた資料をご紹介します。
・『国史大系 徳川実紀 第2編 39』(黒板勝美/編 吉川弘文館 1964)
p.215-221「台徳院殿御實紀巻五十五 元和七年八月に始まり十二月に終る」
正純が根来同心の首を切り棄てたことと、根来塚についての記述があります。(p.221)
・『城 その傳説と秘話』(江崎俊平/著 日貿出版社 1973)
口絵に「根来塚」のモノクロ写真が一枚掲載されています。
p.37-47「宇都宮城と釣天井」
工事に従事させた根来衆が従わなかったため、本田正純が首魁数人を殺し、根来塚に死骸を埋めたとあります。
・『三田村鳶魚全集 4』(三田村鳶魚/著 中央公論社 1976)
p.15-16「御家騒動 宇都宮釣天井 根来同心の労働争議」
本多正純と根来同心の間に争いができ、腹を立てた正純が巨魁数人を殺したとあります。
・『大名廃絶録』(南条範夫/著 新人物往来社 1986)
p.123-146「本多上野介正純」
城普請の手伝いを拒んだ根来足軽同心らが本多正純に殺害された説の他、本多家々老武井九郎衛門に危害を加えようとした根来足軽同心首魁数名が殺された説の記述があります。
・『物語・栃木県史』(徳田浩淳/著 栃木新聞社 1975)
郷土史家による読み物風の人物列伝です。
p.139-162「本多上野介」
「城郭拡張普請」の項に根来組同心百人衆について記述があります。(p.145-148)
「将軍家日光社参」の項に竹林において根来同心を斬首したとあります。(p.148-151)
・『うつのみやの歴史』改訂(宇都宮市/編、発行 1992)
p.148-153「第四章 近世の宇都宮 第一節 十一城主と藩政の変遷 一 初期城主と城下町の形成 本多正純」
正純が幕府から問われた三か条の不審の中に「城改築にあたって反抗した根来同心を刑に処したこと」があるといわれるが、確かなことは伝わっていないとの記述があります。
・『江戸幕府大事典』(大石学/編 吉川弘文館 2009)
p.366-367「百人組(ひゃくにんぐみ)」、「百人組頭(ひゃくにんくみがしら)」、「百人組同心(ひゃくにんぐみどうしん)」の項に、根来組について記述があります。
・『うつのみやの地名と歴史散歩』(塙静夫/写真・文 下野新聞社 2015)
p.148-149「Ⅵ 宇都宮市郊外(旧村)の大字名 (6)豊郷地区(旧豊郷村) 竹林」
根来塚について伝承が記述されています。
次の資料を確認しましたがお求めの記述は見つかりませんでした。
・『宇都宮史跡めぐり』(徳田浩淳/述 文化新報社)
・『栃木の街道』(奥田久/監修 栃木県文化協会 1978)
・『宇都宮市史 第4巻 近世史料編1』(宇都宮市史編さん委員会/編 宇都宮市 1980)
・『宇都宮市史 第5巻 近世史料編2』(宇都宮市史編さん委員会/編 宇都宮市 1981)
・『うつのみやの歴史再発見 日曜散歩』(塙静夫/著 随想舎 1994)
・『下野史談 第85号』(飯田勝丈/著 下野史談会 1997)
・『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州』(今井金吾/著 JTB 2004)
・『宇都宮城物語』(福田三男/著 下野新聞社 2007)
・『嘉永・慶応新・江戸切絵図』(人文社 2010)
・『宇都宮藩・高徳藩』(坂本俊夫/著 現代書館 2011)