レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年01月06日
- 登録日時
- 2022/07/30 17:29
- 更新日時
- 2022/08/25 16:45
- 管理番号
- 中央-1-0021556
- 質問
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解決
緑区大字東台小字天神下あたりの田んぼが、いつから田んぼになったのか知りたい。江戸時代くらいからなのではないか。
- 回答
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以下の資料を提供した。
・『浦和市史 通史編2』浦和市総務部市史編さん室/編 浦和市 1988年
・『浦和市史調査報告書 第11集』浦和市総務部市史編さん室/編集 浦和市 1981年
・『浦和市史調査報告書 第10集』浦和市総務部市史編さん室/編集 浦和市 1980年
・『日本歴史地名大系 11 埼玉県の地名』平凡社 2004年
・『武蔵田園簿』北島正元/校訂 近藤出版社 1977年
- 回答プロセス
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新田、開発で地域資料を検索
○『浦和市史 通史編2』浦和市総務部市史編さん室/編 浦和市 1988年
第七章が「河川と新田開発」
p372 上野田村の用水だった「天久保用水」について、1671年以前にすでに用水組が成立していたとある。
p381「綾瀬川流域の新田開発」
p440 村別田畑比率、p441 市域の地形と村落の分布 も参考程度に。
以下は参考程度に。
『浦和市史 第3巻[2] 近世史料編2』浦和市総務部市史編さん室/編 浦和市 1986年
『浦和市史 第3巻[3] 近世史料編3』浦和市総務部市史編さん室/編 浦和市 1984年
『享保期における町人請負新田の開発 武蔵見沼加田屋新田の場合』田中嗣晴/著 田中嗣晴 1982年
※加田屋は見沼区だが、上野田と隣接している。
『見沼土地改良区史 [本文編]』見沼土地改良区/編集 見沼土地改良区 1988年
『見沼土地改良区史 資料編』見沼土地改良区/編集 見沼土地改良区 1988年
×『浦和市史研究 第11号』浦和市総務部行政管理課/編集 浦和市総務部行政管理課 1996年
p25-34「見沼の主の引越しー新田開発と民間伝承」
×『見沼たんぼ見どころガイド2021』さいたま市都市局都市計画部見沼田圃政策推進室/[編] さいたま市都市局都市計画部見沼田圃政策推進室/[編] 2021年
エリア的に近くではあるが見沼田んぼではないようだ。
×『見沼新田開発の一考察』相沢儀郎/著 石井印刷所 1986年
×『見沼代用水路の開疏と経営』見沼代用水路土地改良区 1955年
×『大宮の郷土史 第35号』大宮郷土史研究会/編 大宮郷土史研究会 2016年
×『大宮の郷土史 第36号』大宮郷土史研究会/編 大宮郷土史研究会 2017年
×『大宮の郷土史 第38号』大宮郷土史研究会/編 大宮郷土史研究会 2019年
×『埼玉合口二期事業工事誌 甦った見沼代用水』水資源開発公団埼玉合口二期建設所/編集 水資源開発公団埼玉合口二期建設所 1995年
×『埼玉の土地改良』埼玉県土地改良事業団体連合会/編集 埼玉県土地改良事業団体連合会 1977年
抄録“新田開発”で検索
×『吉宗の時代と埼玉』秋葉一男/著 さきたま出版会 1995年
×『井澤弥惣兵衛為永 見沼新田開発指導者その人と事績』青木義脩/著 野外調査研究所 2015年
×『水の匠・水の司 “紀州流”治水・利水の祖 井澤弥惣兵衛』高崎哲郎/著 鹿島出版会 2009年
上野田 田んぼ 江戸 でweb検索(天神下ではヒットせず)
△松浦茂樹「見沼たんぼの成立と展開」『野外調査研究』第1号(通巻第26号) 野外調査研究会 2017年 p23-39
「野外調査研究会」https://saito-m.jimdo.com/(2022.8.5最終確認)で閲覧可能
見沼田んぼの歴史という表が掲載されている。
上野田はサギに関する記述のみ。
×『近世の新田村』木村礎/著 吉川弘文館 1995年
探している地域については記述なし
国立国会図書館デジタルコレクションで「綾瀬川」「新田開発」「浦和」で検索(浦和を入れないと他県が出てくる)
○『新編埼玉県史 資料編13』埼玉県/編集 埼玉県 1983年
p44「綾瀬川の治水」
(上段)「元禄十六(1703)幕府は、見沼溜井の用水不足解消を図って、元荒川を備前堤で築留め、見沼まで新堀を開削し、元荒川の水を見沼に導入しようと計画したが、綾瀬川上流農民の反対で中止している」などの記述あり。
p11下段~にも綾瀬川や新田開発について記載あり。
○『浦和市史調査報告書 第11集』浦和市総務部市史編さん室/編集 浦和市 1981年
「深井精治家文書(旧上野田村)」「萩原貞二家文書(旧上野田村)」ほか収録。
p1~解説あり。当時の上野田村の様子について記載あり。
○『浦和市史調査報告書 第10集』浦和市総務部市史編さん室/編集 浦和市 1980年
「田中五十一家文書(旧上野田村)」ほか収録。
p1~解説あり。p3の「産業」「河川・用排水」の項目に、田畑について記載あり。
△『浦和市史調査報告書 第13集』浦和市総務部市史編さん室/編集 浦和市 1981年
「田中五十一家文書(追加分 旧上野田村)ほか収録。
追加分なので、第10集以上の情報はほとんどない。
×『わがまち浦和 地域別案内 改訂版』浦和市総務部行政資料室/編集 浦和市 1992年
p230~上野田について記載あるが、田んぼについては記載なし。
△『新編埼玉県史 図録』埼玉県/編集 埼玉県 1993年
p156 図 見沼代用水と旧池沼
見沼開発以前・以後に開発された池沼が図示されている。
上野田は「伝右衛門沼」のあたり?と仮定すれば、見沼開発以前に開発されたと考えられる。
○『見沼代用水沿革史』見沼代用水土地改良区 1957年
p5 上記資料に載っていた図(見沼代用水と旧池沼)の出典元の図がある。
p138~160 第一節 諸沼の開発
上野田についての記述はないが、埼玉県内各所の沼の開発について記述がある。
○『日本歴史地名大系 11 埼玉県の地名』平凡社 2004年
p136上段「上野田村」
中段右側抜粋
「慶長一九年(一六一四)四月山下弥蔵(周勝)は徳川氏から「上野田村之内」で一〇〇石を、寛永二年(一六二五)二月には同村の内で一〇二石余を宛行われた(記録御用所本古文書)。田園簿では高一一六石余で、内訳の田一〇〇石余・畑五四石余と合計が合わないが、幕府領一〇〇石余・旗本荒河領一六石余となっており、田畑いずれかが誤記と思われる。」
×『大日本地誌大系 13 新編武蔵風土記稿 第7巻』雄山閣 1981年
p300「上野田村」 田についての記載なし。
×『埼玉県農地改革の実態』農地委員会埼玉県協議会/編集 埼玉県農業復興会議/編集 不二出版 1990年
田んぼの歴史の記載なし
○『武蔵田園簿』北島正元/校訂 近藤出版社 1977年
p3 慶安2~3年(1649~50年)頃の記録と記載あり。
p91 高百拾六石九斗三升五合 上野田村
内百石七斗弐升七合 田方
五拾四石八斗五升四合 畑方 と記載あり。
- 事前調査事項
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質問者が農業政策課に問い合わせたところ、『浦和市史』に載っている可能性があると教えられた。
- NDC
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- 農業 (610 10版)
- 関東地方 (213 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- さいたま市緑区
- 田んぼ
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000319361