当館所蔵資料を調査した結果は次のとおり。
・『新修仁尾町誌』(仁尾町誌編さん委員会/編・発行 1984年)
[当館請求記号:K2727 N1 2]
第五編宗教と文化 第二節文学の指馬についての記述は次のとおり。
「(前略)ト仁・白羽は、左右房指馬と謀って、寛政五年(一七九三)十月十二日、
芭蕉愛用の衣を七宝山道明寺(現在は無住で薬師堂又はお薬師さんと呼んでいる)
境内に埋めて「風蘿布」の碑を建て、芭蕉の法要を行った。(中略)左右房指馬は、
生地を明らかにしがたいが、仁尾に終わった人、「風蘿布」の側に「指馬墓」がある。」
(582~583頁)
合わせて、「風蘿布」とその横にある「指馬墓」をおさめた写真が掲載されている。
(583頁)
・『仁尾町誌 仁尾町誌編集委員会/編』(仁尾町役場 1955年)
[当館請求記号:K2727 N1]
第二篇各説 第五章文芸 第三節仁尾町の俳壇に、「指馬当地に歿す。墓は風羅塚の
側にあって時世に ○たちかへる我が古郷は極楽の高天原という名なり」と記している。
(287頁)
・『香川県俳諧史』(松尾明徳,福家惣衛/著 至善園 1950年)
[当館請求記号:K9130 M1]
第四篇純正俳諧勃興時代(元禄の俳壇) 第二章松尾芭蕉に、県内における芭蕉の
句碑を紹介しているが、「三豊郡仁尾町道妙寺境内指馬立之 句なし「芭蕉衣塚」」
とあるのみで、指馬についての詳しい記述はなかった。(46頁)
(なお、ここでは道明寺ではなく道妙寺となっている。)
・『讃岐の俳諧史考-十七文字の景色』(二宮嘉幸/著 江甫草史談会 2002年)
[当館請求記号:当館請求記号:K9130 N1]
「讃岐の近世俳諧」の章 談林から蕉風への移行(16~20頁)を見たが、
左右房指馬に関する記述はなかった。
・『讃岐雅人姓名録』(赤松景福/著 香川新報社 1916年)
[当館請求記号:K2810 A1]
本書の索引を見たが、左右房指馬の掲載はなかった。
・『讃岐人名辞書 増補改訂』(梶原竹軒/著 1936年に高松製版印刷所が発行したものを
1973年に藤田書店が復刻)[当館請求記号:K2810 K17 2]
本書の索引を見たが、左右房指馬の掲載はなかった。
・『讃岐人名辞書 続』(磯野実/編 藤田書店 1985年)
[当館請求記号:K2810 I9]
本書の索引を見たが、左右房指馬の掲載はなかった。
・『香川県人物・人名事典』(四国新聞社/編・発行 1985年)
[当館請求記号:K2810 S3 14]
本書歴史編に左右房指馬の掲載はなかった。