レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年08月17日
- 登録日時
- 2021/09/24 13:31
- 更新日時
- 2022/05/14 16:14
- 管理番号
- R1001484
- 質問
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解決
関東大震災時の浦安における朝鮮人虐殺の件数がなぜ多かったのか、その具体的な理由を調べている。
- 回答
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『浦安町誌(上)』(浦安町誌編纂委員会 浦安町役場 昭和44年)p.241~242に関東大震災に関しての浦安町民の朝鮮人の虐殺に関する記載があり、この部分の情報を元に以下の内容で回答した。
回答の要旨
震災当時、浦安町では、交通・通信機関が途絶したため情報が入らず、東京からの避難民によってもたらされた、東京の大火災が朝鮮人の暴動によるものであるとの流言を一方的に信じたことで、町民が興奮し武装したことが影響している。また、東京にある軍司令部から浦安町に対し、震災に乗じて避難民と共に朝鮮人が浦安に侵入して放火、危害を加えているのか否かの事実確認の問い合わせが、町民に極度の緊張を与えたとある。以上の事柄が多くの虐殺を生んだと推測される。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213)
- 参考資料
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『浦安町誌(上)』. 編集: 浦安町誌編纂委員会 , 浦安町 (千葉県). 浦安町, 1969.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001226932-00
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『浦安町誌(上)』. 編集: 浦安町誌編纂委員会 , 浦安町 (千葉県). 浦安町, 1969.
- キーワード
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- 関東大震災
- 朝鮮人
- 虐殺
- 浦安
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査 事実調査
- 内容種別
- 郷土 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000304993