レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年01月04日
- 登録日時
- 2012/04/26 17:17
- 更新日時
- 2012/04/26 17:17
- 管理番号
- 9000007851
- 質問
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解決
江戸時代の俳人・早川漫々(まんまん)について詳しく書かれた資料があるか。
- 回答
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『早川漫々伝』(安田登著・発行 1922年)、『郷土史にかがやく人々』集合編3(青少年のための山梨県民会議編・発行 1987年)等がある。詳細については照会資料をご覧ください。
- 回答プロセス
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1.『山梨百科事典』(山梨日日新聞社編・発行 1989年)[資料番号0102029295]で、「早川漫々」の項を確認。早川漫々は小原村(現在の山梨市)の生まれの蘭方医で、父は早川石牙(せきが)。国学、和歌においても学名が高いなどの記述がある。
2.自館システムで「早川漫々」と父の「早川石牙」を検索すると、次のものがヒット。
・『早川漫々伝』(安田登著・発行 1922年)
・『郷土史にかがやく人々』集合編3(青少年のための山梨県民会議編・発行 1987年)→p195-213に「早川石牙と漫々」の項あり。
3.山梨県の俳人について書かれている資料を調査。
・『峡中俳家列伝』(松本守拙口授 太古庵 1906年)→p14-19に「石牙 漫々 雷石 物外」の項。
・『甲斐俳人伝』(小沢柳涯著 小沢儀三郎 1923年)→p15-16に「早川漫々」の項。
4.山梨県の医師について書かれている資料を調査。
・『甲斐国医史:中世・近世・近代にかけた甲州全医師医方資料集成』(村松学佑著 甲斐国医史刊行会 2002年)→第8章「諸務兼業」第4節「寺子屋(素読習字)」の1.東西山梨郡の項p268に「初代早川多膳」がある。これは父の石牙のことだが、漫々についても若干の記述がある。
5.山梨市史を調査。
・『山梨市史』通史編上巻(山梨市編・発行 2007年)→p785-790に「早川漫々と俳諧」の項あり。
6.インターネットの国立情報学研究所論文情報ナビゲータCiNii( http://ci.nii.ac.jp/ )で「早川漫々」を検索すると、次の紀要の論文がヒットした。
・「江戸期の文化人:早川漫々とその周辺」石川博著(「山梨学院生涯学習センター研究報告」 第21輯 2009年3月)p69-79
・「早川漫々の研究」清水茂夫著(「山梨大学学芸学部研究報告」No.16 1965年)p29-38
- 事前調査事項
- NDC
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- 詩歌 (911 9版)
- 医学 (490 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 『早川漫々伝』(安田登著・発行 1922年)
- 『郷土史にかがやく人々』集合編3(青少年のための山梨県民会議編・発行 1987年) (p195-213)
- 『峡中俳家列伝』(松本守拙口授 太古庵 1906年) (p14-19)
- 『甲斐俳人伝』(小沢柳涯著 小沢儀三郎 1923年) (p15-16)
- 『甲斐国医史:中世・近世・近代にかけた甲州全医師医方資料集成』(村松学佑著 甲斐国医史刊行会 2002年) (p268)
- 『山梨市史』通史編上巻(山梨市編・発行 2007年) (p785-790)
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「山梨学院生涯学習センター研究報告」 第21輯 2009年3月
(p69-79
) - 山梨大学学芸学部研究報告」No.16 1965年 (p29-38)
- キーワード
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- 早川漫々
- 早川広海
- 俳人
- 医師
- 山梨市
- 山梨県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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・早川漫々(安永4(1775)年-文政13(1830)年)は、小原村(現在の山梨市)に生まれる。父は、医師で俳人の早川石牙(多善)で、名前は広海、初名は円橘、文政4年襲名し二代多善を称した。俳名は漫々。黄楊園の号も使う。寛永9年に父の一周忌追善集『霜夜ほとけ』を出版。寛政10年に京都の賀川満貞に産科、難波の吉益掃部に内科を学び、後に長崎で蘭方医学を学んだ。医業に従事するとともに俳諧、和歌を愛好。峡東俳壇の指導者として黄楊門流を形成した。また、郷土の子弟のために読書筆道を教授した。
・『霜夜ほとけ』(漫々撰)は、『甲州文庫史料』第8巻 甲斐俳諧編(山梨県立図書館編・発行 1980年)[資料番号0101912319]→p209-217に翻刻が収載されている。
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土(文学)
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000105269