レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年07月09日
- 登録日時
- 2022/07/09 15:54
- 更新日時
- 2022/11/10 12:02
- 管理番号
- 名古屋市鶴-2022-007
- 質問
-
未解決
中区丸田町の交差点南西角にある道標と、それを囲んでいる鉄枠がいつできたのか知りたい。
- 回答
-
道標が建てられた時期については「江戸末期ごろ」「明治初年」と諸説あるようです。
道標を囲んでいる鉄枠については、設置時期はわかりませんでした。
鉄枠のない頃の写真は、1983年に出版された資料『名古屋の石造物 名古屋市文化財報告調査15』で見ることができます。
- 回答プロセス
-
・自館郷土資料コーナーの中区についての資料から『名古屋市中区誌』『前津旧事誌』などを確認しましたが、見つかりませんでした。
・名古屋市図書館OPACで「名古屋」「文化財」のキーワードで検索した資料をいくつか確認しました。
(1)『名古屋の石造物 名古屋市文化財報告調査15』に、田舎道の道標の紹介の1つとして記載がありました。
道標の行先指示の記述方法から「明治初年に建てたものかも知れぬ。」(p.22)とあり、鉄の囲いのない写真も2枚載っていましたが、撮影時期は記載がなくわかりませんでした。
(『名古屋の石造物』は1983年出版と1985年出版がありますが、写真はどちらも同じものでした。)
(2)『名古屋の史跡と文化財』(1970)の道標の目次に「丸田町角道標」がありました。
「紀年名や建立者名はないが、江戸末期ごろ社寺めぐりのための道標であることは、その文面から知れる。旅人のためでなく、信仰と遊楽とを兼ねてのために通行した道だったと考えられるし、かなり多くの人びとが利用したことも、容易に想像できるのは、大変興味深い。」(p.116)
・道標に刻まれた「おからねこ道」関連でレファレンス協同データベースに登録のあった事例(名古屋市鶴-1997-026)の資料も確認しました。
(3)『堀川端ものがたりの散歩みち』p.37に以下の記載はありましたが、建立年などはわかりませんでした。
「丸田町交差点の南西角近くに「東 天道 八事みち 南 さん王 すみよし あつた道 西 矢場地蔵 おからねこ道 北 法花寺町 大曽根道」と記された道標が残っている。」
・インターネット(Google)で「丸田町 道標」で検索すると、道標の写真と「ストーンガイドポスト」と書かれた道標の紹介文とみられるプレートの写真が見つかりました。
それには「江戸末期ごろの道標で、旅人のためでなく信仰と遊楽を兼ねて通行した道だったと考えられる。」と書かれていますが、出典等の記載はありませんでした。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 芸術政策.文化財 (709 9版)
- 彫刻.オブジェ (71)
- 中部地方 (215)
- 参考資料
-
-
名古屋市教育委員会/著 , 名古屋市教育委員会. 名古屋の史跡と文化財. 泰文堂, 1970-00.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I110975935-00 -
名古屋民俗文化財調査会 編 , 名古屋民俗文化財調査会. 名古屋の石造物. 名古屋市教育委員会, 1985. (名古屋市文化財調査報告 ; 15)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001773640-00 -
堀川端ものがたりの散歩みち. 名古屋市中区役所まちづくり推進部地域振興課, 2002.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I051903942-00
-
名古屋市教育委員会/著 , 名古屋市教育委員会. 名古屋の史跡と文化財. 泰文堂, 1970-00.
- キーワード
-
- 道標ー名古屋市
- 文化財ー名古屋市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000318600