レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年02月07日
- 登録日時
- 2012/02/07 15:17
- 更新日時
- 2012/08/30 13:26
- 管理番号
- 97-B-4
- 質問
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解決
大西町(越智郡大西町。現在は今治市大西町)におけるキリスト教の伝来とかくれキリシタンについて調べたい。
- 回答
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【資料1】の”宗教”の項目で調べてみると、記載されていた。
○キリスト教の伝来とかくれキリシタン
16世紀の中ごろ(1549)キリスト教(ローマカソリック教)が伝来し、織田信長の仏教勢力抑制対策による保護や、戦国大名の中にも信奉する者があらわれて、キリスト教は急速に広まっていったが、豊臣秀吉や徳川家康は国防上の見地から厳禁した。徳川家光は鎖国令を出してまで徹底的に厳禁した。民衆はすべて宗門改めを受けて、檀那寺の宗門人別帳に登録された。このために信者(キリシタン)の中には表面は仏教を信じている如くみせかけ、人知れずかくれてキリスト教を信仰する者があった。これを俗にかくれキリシタンといわれた。伊予国でも、かくれキリシタンの遺跡が所々に発見され、高縄半島には特に多く発見されている。
大西町でも山之内の衣笠の弁天さんやそのほかの所にマリヤキリシタンの像といわれる石像が発見されており、キリシタンに関する伝説が残されている。
○衣笠の弁天
この弁天堂の前庭に小さな石碑がある。よく見ると人の顔が刻まれていて、目・眉毛の線と鼻の線が、十文字形になっていて、かくれキリシタンの石票であろうといわれ、これと同じような石碑が山之内に二箇、隣の亀岡や玉川にも見つかっている。
【資料3】で調べてみると
○かくれキリシタンの石像
今から350年前の日本では、キリスト教を信じることは禁止されており、このおきてを守らない人々は殺されました。ところが、山之内のおくには、その時代にこのあたりに住んでいた人がキリスト教を信じていたのではないかと思われる石像がのこっています。石像の表面には、手を合わせた人の顔がほりこまれています。そのまゆや鼻筋をたとっていくと十文字のような形を思いうかべることができます。
また、当時キリスト教を信じていた美しいむすめさんの言い伝えがのこっています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 布教.伝道 (197 9版)
- 四国地方 (218 9版)
- 参考資料
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【資料1】 『大西町誌』 大西町誌編纂委員会/編集 大西町教育委員会 1977年 <請求記号:K292.2 /17>
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【資料2】 『大西の史跡を訪ねて』 大西町教育委員会/編集 大西町教育委員会 1986年 <請求記号:K292.2 /32>
- 【資料3】 『大西のくらし』 大西小学校編 大西小学校 1992年 (愛媛県立図書館所蔵なし)
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【資料4】 『怒麻 第12号』 大西町史談会/編 大西町史談会 1990年 <請求記号:K222 /21 /12>
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【資料5】 『怒麻 第13号』 大西町史談会/編 大西町史談会 1991年 <請求記号:K222 /21 /13>
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【資料6】 『怒麻 第17号』 大西町史談会/編 大西町史談会 1995年 <請求記号:K222 /21 /17>
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【資料1】 『大西町誌』 大西町誌編纂委員会/編集 大西町教育委員会 1977年 <請求記号:K292.2 /17>
- キーワード
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- かくれキリシタン(大西町) かくれきりしたん(おおにしちょう)
- 照会先
- 寄与者
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- 大西町立図書館
- 備考
- 事例出典『郷土資料に関する調査・相談事例集』 愛媛県図書館協会・愛媛県立図書館/編集 愛媛県立図書館 1997年
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000101167