レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年04月11日
- 登録日時
- 2023/10/05 19:51
- 更新日時
- 2024/02/05 11:51
- 管理番号
- 大宮-1-00093
- 質問
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解決
埼玉県さいたま市見沼区東大宮1丁目82−2にある延命山地蔵院共同墓地には、さいたま市の有形文化財指定されている「地蔵院の地蔵石仏」がある。
その延命山地蔵院の宗派、開基、開山、本尊を知りたい。
- 回答
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延命山地蔵院は「宗派:真言宗、本尊:地蔵尊 官有地 所属:慈眼寺」である。
現在の地蔵院の場所には、もともと正雲寺という寺があった。正雲寺は明治の初めに廃寺になり、その後焼失した。
その跡地に字中本村の原市道脇にあった地蔵院をうつしたものであると判明。
- 回答プロセス
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所蔵している郷土資料を確認。
・地名について
〇『大宮市史 第3巻下』大宮市役所 1973年
p234~ 砂村について記載あり。「砂村は、現大砂土東地区の北部を占める砂町及び東大宮一・二・四丁目の地域」とある。
現在、延命山地蔵院共同墓地のある地域は、砂村と呼ばれていたことがわかる。
・地蔵院について
〇『大宮の文化財 2』大宮市教育委員会社会教育課/編 大宮市教育委員会 1986年
p25 地蔵院の地蔵石仏:正保4年(1647) 砂村の村民が結衆し建立。(光背に刻あり)
大宮市 砂33 地蔵院 昭和50年2月7日市指定との記載あり。
〇さいたま市ホームページにも文化財紹介 地蔵院の地蔵石仏として掲載あり。
(https://www.city.saitama.jp/004/005/006/001/019/003/003/p000457.html(2023.10.17最終確認))
ただし、地蔵院についての詳細記載はなし。
〇『砂の万灯』大宮市教育委員会社会教育課/編 大宮市教育委員会 1981年
p4 現在の地蔵院は、以前字中本村の原市道脇にあったものを移したものといわれている。
その前は正雲寺があり村民の菩提寺であったが、明治の初めに廃寺、その後焼失。そののちに地蔵院が移設。
〇『大宮の文化財散歩 続』大宮郷土史研究会 1989年
p40~41 砂の地蔵院 同院は、かつて村民の菩提寺であった正雲寺の跡地である。同寺は明治の初め廃寺となり、その後消焼失してしまったため、字中本村の原市道脇にあった地蔵院を現地に移したと伝えられている。
〇『大宮市史 第3巻中』大宮市役所 1978年
【宗教・文化編】p73 大宮市域における寺院本末図によると正雲寺は、新義真言宗 京都仁和寺―倉田村明星院―中野村正法院―砂村正雲寺という流れになっている。
〇『大宮市史 第3巻下』大宮市役所 1973年
p240 正雲寺跡地に移されたと『砂の万灯』『続大宮の文化財散歩』と同内容の記載あり。
〇『大日本地誌大系 13 新編武蔵風土記稿 第7巻』雄山閣 1996年
p293 巻之四十四 足立郡之十 砂村 の寺院の項目で「地蔵堂 村持」との記述あり(「地蔵院」という名では掲載されていないが、地蔵院のことだと思われる。)
〇『さいたま市史 民俗編1 社寺の信仰』さいたま市 2022年
p185 市内の「堂庵一覧」があり、旧・砂村の地蔵堂が「宗派:真言宗、本尊:地蔵尊 官有地 所属:慈眼寺」として掲載されている。
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 10版)
- 芸術政策.文化財 (709 10版)
- 寺院.僧職 (185)
- 参考資料
- キーワード
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- 延命山地蔵院
- さいたま市見沼区
- 正雲寺
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000339416