レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/02/14
- 登録日時
- 2023/12/24 00:31
- 更新日時
- 2023/12/24 00:31
- 管理番号
- 6001063735
- 質問
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解決
堺市にある多治速比売神社の名前の由来について知りたい。
- 回答
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多治速比売神社の名前の由来について、以下の資料に記載されています。
由来については諸説あるようです。
■『式内社調査報告 第5巻』(式内社研究会/編纂 皇学館大学出版部 1977)
「延喜式神名帳」記載のある各地の神社について調査した報告書です。
p.68-73「多治速比賈命神社」の項目があり、「社名」には「九条家本・金剛寺本ともに「タチハヤヒメ」と訓み、吉田家本は「多治迷比賈命(タチハヤヒメノ)神社」と記す。『神社覈録』には「多治速比賈は多比(タチヒ)乃波夜姫と訓べし」とあり、多比氏の姫と解してゐる。『国内神名帳』にも「従五位上多治比早娠社」と録し、社名と祭神名を同視してゐる。」との記載があり、また、「祭神」には「社名と同じ多治速比賈命については、社伝では日本武尊の妃「橘姫命」の転化した名称とするが、諸説は一致を見ない。『神社覈録』は「丹比乃波夜姫」とし、『神名帳考察』では多治比君之祖と思はれる説を挙げ、『和泉國式神私考』では、「多治速名媛 命穂積押山宿禰之女多治速名媛ハ日本武尊之妃神也」とし、『特選神名牒』では、「橘姫に非ること明けく」と記すなど、その一例である。」との記載があり、由来には諸説あるようです。
■『神社覈録 上編』(鈴鹿連胤/著 会通社 1902)
国立国会図書館デジタルコレクションで利用可能です(2023/11/1確認)。
https://dl.ndl.go.jp/pid/991014
p.507-508(261-262コマ)「多治ノ速比賈命神社」の項目があり、「多治速比賈命は丹比(タチヒ)乃波夜姫(ヒメ)と訓べし」(中略)「和泉志云、一作、日本武尊妃、連胤按るに、橘姫といふは、速の仮字ハヤをハナと通はしたる、例の憶説なるべし、こゝはタチヒノハヤヒメにて、多治氏の早姫といふを祭れる事決し、其速姫といふ名は、未た諸書に考へ得ねども、姓氏録、河内和泉の皇別神別等に丹比氏見え、国帳に田治速姫とあるにても、橘姫あらざることは考へ合すべし」との記載があります。
■『神道大系 古典註釈編7 延喜式神名帳註釈』(神道大系編纂会/編集 岩本徳一/校注 神道大系編纂会 1986)
伴信友著『神名帳考』(文化10(1813)年)を翻刻した資料です。p.119に「多治速比売命神社」の項があり、「コノ多治速神社、則橘姫也、波奈ト波夜ノ奈ト夜ト通フ例ハ、阿奈ト阿夜ト通ハセ云類ナルベシ、又オモフニ、旧本多治波那ト作(ア)リケムヲ、那ヲ耶ト見誤リテ、速(ハヤノ)字に書カヘシムナラムカ」とあります。
■『式内社の研究 第3巻』(志賀剛/著 雄山閣 1977)
p.319-320「多治速比売神社」の項目があり、社地について「古老の曰く、昔は笹(今でも多い)やシダ(ウラジロ)やイタドリ(虎杖)(スカンボ)がたくさん生えていた。反正天皇紀の注に「多遅(タチヒ)の花は今の虎杖の花也」とあり、天皇の宮は河内の多比柴垣の宮であることから見てもこのタチヒはめでたい花であったことが知られる。多治速はタチヒのヒが脱落し神威を示す速の語が付いた名称であるからこの神社はこの瑞花のタチヒに因む名である。」との記載があります。
[事例作成日:2023年11月1日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 神社.神職 (175 10版)
- 参考資料
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- 式内社調査報告 第5巻 式内社研究会∥編纂 皇学館大学出版部 1977 (p.68-73)
- 神社覈録 上編 鈴鹿/連胤∥著 会通社 1902 (p.507-508)
- 神道大系 古典註釈編7 神道大系編纂会∥編集 神道大系編纂会 1986 (p.119)
- 式内社の研究 第3巻 志賀/剛∥著 雄山閣 1977 (p.319-320)
- https://dl.ndl.go.jp/pid/991014 (神社覈録 上編(国立国会図書館デジタルコレクション)(2023/11/1現在))
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌事項調査
- 内容種別
- 大阪
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000343956