レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年02月04日
- 登録日時
- 2014/02/04 18:02
- 更新日時
- 2014/02/04 18:03
- 管理番号
- 20140204-8
- 質問
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解決
高津宮について知りたい。
- 回答
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高津宮 【コウヅノミヤ】 コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E9%AB%98%E6%B4%A5%E5%AE%AE (2014/02/04確認)
デジタル大辞泉
こうづ‐の‐みや〔カウづ‐〕【高津宮】
大阪市中央区にある神社。主祭神は仁徳天皇。他に仲哀天皇などを配祀。
日本大百科全書(ニッポニカ)
高津宮
こうづのみや
大阪市中央区高津に鎮座。仁徳(にんとく)天皇を主神とし、左に仲哀(ちゅうあい)天皇・応神(おうじん)天皇・神功(じんぐう)皇后、右に葦姫(あしひめ)皇后・履中(りちゅう)天皇を祀(まつ)る。旧社地は仁徳天皇の皇居高津(たかつ)宮跡で、同地に鎮座の式内社比売許曽(ひめこそ)神社境内にいつしか創建された。964年(康保1)社殿改築より本社が主とされ、比売許曽社が境内社のようになり、1583年(天正11)豊臣(とよとみ)秀吉の大坂城築城にあたり現社地へ遷座。・・・
国史大辞典
高津宮
こうづのみや
大阪市南区高津町一番丁に鎮座。旧府社。祭神は仁徳天皇を主神として本座に、仲哀天皇・応神天皇・神功皇后を左座、葦姫皇后・履中天皇を右座に配祀する。社伝によれば、清和天皇貞観八年(八六六)奉幣使を差遣して社殿を建立し、河内国古市郡に神田五十町を寄進したとあり、室町幕府の将軍足利義教は当宮の旧記を調べ、貞観の先例に習って社殿を造替し、祭祀憲録をも制定したのであるが、天正十一年(一五八三)大坂城築城のため、現社地の比売許曾神社境内に遷座し、比売許曾神社は地主神として摂社に奉斎したことを伝えている。昭和二十年(一九四五)の戦災により、社殿・古記録などの大部分を焼失、現在の社殿は同三十六年に復興したものである。・・・
仁徳天皇の高津宮(たかつのみや)跡、また東高津宮は現社地とは別である。
浪速 高津宮
http://www.kouzu.or.jp/ (2014/02/04確認)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 神社.神職 (175 9版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000148855