レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年06月01日
- 登録日時
- 2023/06/27 12:48
- 更新日時
- 2023/07/13 22:37
- 管理番号
- 県立長野-23-058
- 質問
-
未解決
羽鳥好之著『尚、赫々たれ(なお、かくかくたれ)』で、加藤豊後守光廣が篭居していた東京都の三田周辺にある「泉岡寺」の読み方について知りたい。
- 回答
-
当館所蔵の資料を調査したが、東京都23区中に泉岡寺の存在が確認できなかった。そのため、読み方についても不明。
また、『徳川実紀』黒板勝美編 吉川弘文館 1998(新訂増補国史大系 新装版 第39巻)【210.08/クカ/39】の寛永9年4月から6月を調べたが、父である加藤肥後守忠廣が入府を許されず池上本門寺に留め置かれた記述はあるが、実際に豊後守光廣が篭居していた場所についての確認ができなかった。
なお、『学研漢和大字典』藤堂明保編 学習研究社 1978【813/169】では、「岡」はコウという呉音、漢音があることが書かれている。『大漢和辞典 4』諸橋轍次著 大修館書店 1957 【813/60/4】の「岡」でもカウと音がある。
- 回答プロセス
-
1 NDC分類180(仏教)の書棚で資料を探す。『全国寺院名鑑 北海道・東北・関東編』『江戸幕府寺院本末帳集成 下索引』『市町村区分 全国寺院大鑑 別巻』で、東京都23区内の寺院を調べるが、「泉岡寺」という寺院名は確認できない。
2 NDC分類291.36(日本の地誌・東京都)の書棚で『日本歴史地名大系13 東京都の地名』『江戸東京地名事典』などの地名辞典を調べるが、「泉岡寺」を確認できない。
3 当館蔵書を「寺院」「東京」で検索をする。ヒットしたもののうち『大江戸今昔マップ』『江戸寺社大名庭園』で、「泉岡寺」を調べるが記載はない。
4 当館蔵書を「三田」で検索をする。ヒットしたもののうち寺院に関するものを調べていく。『三田寺町の江戸建築』に、江戸期の三田寺町の住宅地図のような屋敷割図を発見。細かく見ていくが、「泉岡寺」は確認できない。
5 加藤豊後守光廣(光正)について、調べる。当館契約のデータベース「Japan Knowledge」で検索する。『日本人名大辞典』講談社で、加藤清正の孫にあたり、熊本藩主加藤忠広の子とわかる。寛永9年(1632)謀反の嫌疑をうけ、飛騨(ひだ)(岐阜県)高山に流されたことがわかる。
6 徳川家光に対しての謀反の疑いということから、『徳川実紀』の該当年を調べる。豊後守光廣が篭居していた場所の記載はない。
7 所蔵する漢和辞典類で、「岡」の読みを調べる。
<調査資料>
・『全国寺院名鑑 北海道・東北・関東編』全国寺院名鑑刊行会編 史学センタ- 1976【185/18/1】
・『江戸幕府寺院本末帳集成 下索引』寺院本末帳研究会編 雄山閣 1981【185/46/3】
・『市町村区分 全国寺院大鑑 別巻』【185.03/ゼン/3】
・『日本歴史地名大系13 東京都の地名』平凡社 2002【290.3/ニホ/13】
・『三田寺町の江戸建築』港区教育委員会編・刊 2009【521.81/ミナ】
・『江戸東京地名事典』本間信治著 新人物往来社 1994 【291.36/ホノ】
・『大江戸今昔マップ』かみゆ歴史編集部編 新人物往来社 2011【291.36/カミ】
・『江戸寺社大名庭園』こちずライブラリ編・刊 2014【629.21/コチ】
・高橋和島著「加藤忠弘改易事件」『歴史読本』第43巻第1号 1998.1
- 事前調査事項
- NDC
-
- 寺院.僧職 (185 10版)
- 関東地方 (213 10版)
- 日本 (291)
- 参考資料
- キーワード
-
- 泉岡寺
- 加藤光廣
- 加藤光正
- 加藤忠廣
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000334978