レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年10月02日
- 登録日時
- 2022/03/09 14:51
- 更新日時
- 2022/05/30 15:17
- 管理番号
- 埼熊-2021-077
- 質問
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未解決
『埼玉史料辞典』(埼玉新聞社 1968)に、三峯神社の石高に関する情報は掲載されているか。
- 回答
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調査指定資料に該当の記述は見当たらなかった。
また、当館所蔵の資料を調査したが、三峯神社の石高について明記されている資料を確認できなかった。
- 回答プロセス
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1 質問者調査指定資料を調査する。
『埼玉史料辞典』(埼玉新聞社 1968)
p329-332「埼玉県内における寺社領」の秩父郡の項に該当なし。
2 参考図書を調査する。
3 自館目録を〈三峯〉〈三峯神社〉で検索する。
『三峯山誌』(石倉重継著 闡勝閣書房 1906)
p10「社領」に「元無高無段別御差置地又五十二町四方守護不入の地などと称し神領の百姓三峯村廿六戸より、維新の際迄年貢を領し来りしが、明治四年七月廿七日、境内段別拾四町七段八畝十五歩を除き他は悉皆上地せり。而して又同十年六月廿七日、右境内の内を再び裂いて、八町七歩を上知官林に編入し、現境内は六町七段八畝八分のみとなれり。」とあり。
4 郡村誌を確認する。
5 『大滝村誌』を確認する。
『大滝村誌 下』(秩父市大滝村誌編さん委員会編 秩父市 2011)
p2-37「三峯神社」
p10-12「神領・境内地」に「三峰山が寺社奉行所に提出した「武州秩父郡三峰山境内覚」書きには次のようにある。東方境は川車沢切り、西方境は不多瀬(二瀬)川端まで、南方境はさめがや沢川端まで、北方境は和田芝安戸川端まで、山通り不多瀬まで、下は皆川切り。(中略)「境内三拾六石の御指置と申伝ばかりにて、田地かつて御座無く候」というくだりもある。」とあり。
6 史料集を確認する。
『三峯神社史料集』(横山晴夫編著 三峯神社社務所 1989)
p266-272 明治四年の上知令に関する文書あり。
p387の文書番号三一四の解説より、「三峯村の上知に係る取り調べに対し、村方の答申。(一)三峯山は境内五十二丁四方が差置地として無高であるが、百姓三十六軒より十九貫、地頭三峯山へ年々差し出しのこと、(後略)」とあり。
7 取調帳を確認する。
『旧高旧領取調帳 関東編 日本史料選書 3』(木村礎校訂 近藤出版社 1969)
p169「三峯村 郡代木村飛騨守支配所 無高 岩鼻県」とあり。
8 埼玉関係雑誌記事索引を〈三峰〉で検索する。
〈その他調査済み資料〉
『新編埼玉県史 通史編 3 近世』(埼玉県編 埼玉県 1988)
『埼玉の神社 入間 北埼玉 秩父』(埼玉県神社庁神社調査団編 埼玉県神社庁 1986)
『三峯神社 秩父 さきたま文庫 7』(沼野勉著 さきたま出版会 2018)
『武蔵国郡村誌 第7巻』(埼玉県編 埼玉県立図書館 1954)
ウェブサイト・データベースの最終アクセス日は2018年10月2日。
- 事前調査事項
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『国史大辞典 13 ま-も』(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1992)
『埼玉県の地名』(平凡社 1993)
『角川日本地名大辞典 埼玉県』(角川書店 1980)
『寛文朱印留 下 史料館叢書 2』(国立史料館編 国立史料館 1980)
『新編埼玉県史 資料編18 中世・近世』(埼玉県 1987)
- NDC
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- 神社.神職 (175 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 神社-埼玉県
- 石高
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査 書誌的事項調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000313282