レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/12/24
- 登録日時
- 2015/03/05 13:29
- 更新日時
- 2015/05/01 14:53
- 管理番号
- 埼浦-2014-094
- 質問
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解決
インターネットで春日部あたりが6000年前は海だったという情報を見た。その後どのように陸地になったのか、海だったのは春日部辺りだけかもしくは埼玉全域だったのか知りたい。
- 回答
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『新編埼玉県史図録』に掲載されている縄文時代前期(約6000年前)の頃の図によれば、栗橋のあたりまで海だった。その後については、地球の温暖化・寒冷化によって海進・海退が起きていたことが推測されている。
詳細については、以下の資料に関連記述があったので紹介した。
『新編埼玉県史図録』(埼玉県 1993)
第1章 原始・古代
p22 「前期の奥東京湾」の図あり。栗橋のあたりまで海水が入り込んでいる。
p30 「後・晩期の奥東京湾と貝塚」の図あり。
『新編埼玉県史 通史編 1 原始・古代』(埼玉県 1987)
p88-91 自然環境
p98-102 食糧確保と貝塚 関東平野の沖積低地図あり
p130-132 海退と奥東京湾 後・晩期の貝塚と奥東京湾の図あり
p164 食料の確保
p168-172 遺跡の減少
『図説埼玉県の歴史 図説日本の歴史 11』(河出書房新社 1992)
口絵 「埼玉県の地勢 -縄文海進と貝塚分布」の図あり。「縄文時代前期の海岸線」あり。
『埼玉県立歴史と民俗の博物館展示ガイド』(埼玉県立歴史と民俗の博物館 2010)
p11 「貝塚の分布と奥東京湾」の図あり。「縄文時代前期の海岸線」「縄文時代後期の海岸線」あり。
『さいたまの海 縄文人からの伝言 特別展』(埼玉県立博物館 1990)
付録 「埼玉県内の縄文時代早期末から前期の貝塚分布と奥東京湾」に推定海域図あり。
『日曜の地学 1 埼玉の自然をたずねて』(築地書館 2012)
p214 「縄文時代の埼玉の海(奥東京湾の時代)」
『春日部市史 6 通史編』(春日部市 1994)
p6 「縄文時代の地形」
『埼玉県地学のガイド』(埼玉県地学教育研究会編 コロナ社 1992)
p65 「(2)化石からさぐる縄文時代の海」
p285-287 「貝塚の分布から見た縄文海進」の記述あり。
『図説埼玉のあゆみ 遺跡・遺物が語る 原始・古代編』(埼玉埋蔵文化財調査事業団編 埼玉県立埋蔵文化財センター 1991)
p6 「埼玉の地形」の記述あり
『中川水系 総論・自然 中川水系総合調査報告書 1』(埼玉県 1993)
p167-168 「(1)奥東京湾の形成」「(2)奥東京湾の海退と沖積平野の形成」の記述あり。
- 回答プロセス
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質問者が見たインターネット情報がどのようなものか調べる。
《Google》を〈春日部 & 6000年前〉で検索するとニュース記事がヒットした。
《NEWSポストセブン 未知の活断層ある危険地帯 世田谷、春日部、越谷の名挙がる》(http://www.news-postseven.com/archives/20130425_184433.html 小学館 2015/03/05最終確認)
- 事前調査事項
- NDC
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- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 地理.地誌.紀行 (290)
- 地質学 (455)
- 参考資料
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- 『新編埼玉県史図録』(埼玉県 1993)
- 『新編埼玉県史 通史編 1 原始・古代』(埼玉県 1987)
- 『図説埼玉県の歴史 図説日本の歴史 11』(河出書房新社 1992) , ISBN 4-309-61111-7
- 『埼玉県立歴史と民俗の博物館展示ガイド』(埼玉県立歴史と民俗の博物館 2010)
- 『さいたまの海 縄文人からの伝言 特別展』(埼玉県立博物館 1990)
- 『日曜の地学 1 埼玉の自然をたずねて』(築地書館 2012) , ISBN 978-4-8067-1436-1
- 『春日部市史 6 通史編』(春日部市 1994)
- 『埼玉県地学のガイド』(埼玉県地学教育研究会編 コロナ社 1992) , ISBN 4-339-07540-X
- 『図説埼玉のあゆみ 遺跡・遺物が語る 原始・古代編』(埼玉埋蔵文化財調査事業団編 埼玉県立埋蔵文化財センター 1991)
- 『中川水系 総論・自然 中川水系総合調査報告書 1』(埼玉県 1993)
- キーワード
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- 春日部
- 海進
- 縄文海進
- 海
- 奥東京湾
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000168606