レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/03/26
- 登録日時
- 2014/09/04 00:30
- 更新日時
- 2014/09/04 00:30
- 管理番号
- 6001001701
- 質問
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解決
契約書を作成する際に、「捨印」をすることがあるが、この根拠を知りたい。
法的に由来するものなのか、ただの慣習なのか。もし法的根拠がなくただ慣習としてなされているのなら、いつごろから用いられ、どのように広まり、現代の契約の場で広く用いられるようになったのか知りたい。
- 回答
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当館所蔵資料からは次のものが見つかりました。
『判例タイムズ』〈390〉(判例タイムズ社 1979.10)110-111ページ
捨印を利用して補充した遅延損害金に関する契約事項につき合意の成立が否定された事例
(最高裁昭和53年10月6日第二小法廷判決)
「…いわゆる捨印が押捺されていても、捨印がある限り債権者においていかなる条項をも記入できるものではなく…」
この事例の解説中に、事前調査で挙げられていた弁護士ブログの引用元と思われる文章があります。
「まず、契約書面にみられる捨印の慣行がどうして発生したか、私(この判例の解説者、三和銀行調査役 谷啓輔氏)なりに史的検討を加えてみる。その淵源は、江戸時代の町方において作成されていた人別帳にこれを見ることができる。…」とあり、その注釈に『大坂町人相続の研究』(中埜喜雄/著 嵯峨野書院 1976)35-36ページがありました。
こちらを確認しますと、「…当主が毎月毎月、人別帳面への判形捺印を義務として課せられてきた(=月次判形。月順に人別帳面への捺印が同帳面の上部上部へと登って行くことから、登り判形とも称される)…もしその月に、人別異動…があれば…人別帳面の右“月次判形”部分の横へ其旨が小字によって書き込まれる。捺印部分の、通常は左側すなわち左脇に書き加えられることからして、これを「脇書」と称する。…「脇書」なる用語は当時の公用語であり、また官用語でもあったわけである…』とあります。85ページに注釈があり、この資料の冒頭に、登り版形と脇書の見本があるとされています。確認すると確かに白黒のグラビアが一枚あります。また、「この資料の第4論文「水帳張紙断控帳」に於ても”脇書”について記述」とあります。(125-138ページ)
法的根拠については、捨印についてではないですが、訂正印について、由来を考察した資料があります。
『印の押し方:実用印鑑知識事典』(塩小路光孚/著 新人物往来社 1993.12)
94ページには、「…一八七五年(明治八)、政府は太政官達第七七号によって綴目印、訂正印を押すことの「達」を出した…」とあり、97ページに訂正印についての項目で、「訂正印は先に挙げた太政官の「達」によって制定された。訂正印は、登記法でも規定されている。…商業登記規則では、第四八条三、四項で訂正の方法を規定しており、そのなかで、印を使用して訂正したことを示すようにしている。その方法は、訂正、加入又は削除をしたときは、その字数を欄外に記載して、これに(訂正印を)押印するものとしている…」等とあります。
また、「法律と印の押し方」という項目があり、捨印そのものについての記述はありませんが、印の押し方と法律の関係の記述が170-184ページにあります。「印が法律上現れるのは、民法、刑法、商法、不動産登記法、商業登記法などいろいろである。まず、印が法律上、どのような場合に押されるのか、その印の種類はどんなものなのか、条文などを交えて考えてみたいと思う…」
のなかで、印を使用して訂正したことを示すようにしている。その方法は、訂正、加入又は削除をしたときは、その字数を欄外に記載して、これに(訂正印を)押印するものとしている…』等とあります。
法令データ提供システム
http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxsearch.cgi
法令名の用語索引に「商業登記規則」と入れると
「商業登記規則
48条の3 第一項の書面につき文字の訂正、加入又は削除をしたときは、その旨及びその字数を欄外に記載し、又は訂正、加入若しくは削除をした文字に括弧その他の記号を付して、その範囲を明らかにし、かつ、当該字数を記載した部分又は当該記号を付した部分に押印しなければならない。この場合において、訂正又は削除をした文字は、なお読むことができるようにしておかなければならない。」と出ます。
また、「法律と印の押し方」という項目があり、捨印そのものについての記述はありませんが、印の押し方と法律の関係の記述が170-184にあります。
「印が法律上現れるのは、民法、刑法、商法、不動産登記法、商業登記法などいろいろである。まず、印が法律上、どのような場合に押されるのか、その印の種類はどんなものなのか、条文などを交えて考えてみたいと思う…」
ネット上に、印一般の歴史や公的に用いられるようになった時期についての記述があります。
捨印の慣行を、銀行での手続きに求める記述です。
その他に調べた資料です。
印の歴史一般についての情報はありますが、捨印そのものの歴史についての記述は見つけられませんでした。
『はんこと日本人:日本を知る』(門田誠一/著 大巧社 1997.9)
155ページから「明治時代における法の規定」の項あり。
164ページに、江戸時代における農民・町人層へのはんこの広がりが、現代につながる社会のなかでのハンコの位置づけを確定したという記述があります。
『ハンコロジー事始め:印章が語る世界史(NHKブックス)』(新関欽哉/著 日本放送出版協会 1991.9)
166ページに「江戸時代の庶民と印章」の項目で「人別帳」の説明があります。
『その印鑑、押してはいけない!:金融被害の現場を歩く』(北健一/著 朝日新聞社 2004.8)
210ページに、「江戸時代のハンコ社会」の項あり、245ページに捨印のハンコ被害とのかかわりの記述があります。
『印判の歴史』(石井良助/著 明石書店 1991.6)
187ページに人別帳の実物写真があります。
『ハンコ今昔:展示図録』(新潟県立歴史博物館/編集 新潟県立歴史博物館 2008.10)739/99N/(2)
51ページに人別帳のコラム、62-64ページに「ハンコの歴史概論」があります。
『全日本印章業協会ホームページ 歴史館 日本編』
http://www.inshou.or.jp/rekishipage/japanpage/nihon5.html
『明治6年に発せられた太政官布告には、実印が捺されていない公文書は裁判において認められないことが明記されており、法的にも実印の重要性が確立。これを受けて、広く実印や認印が普及していきました。このようにして律令時代から千年余の時を経て官印制度は復活したのですが、当時の政府はこれと合わせて欧米のサインも併用していこうとしました。しかし、この試みは日本の社会に馴染まず、経ち切れになり印章を最重視する社会的慣習が完全に定着しました。ところで、印章は判とも称されますが、これは判決書に印章が捺されたためです。また、ハンコは「判行」から転じたものといわれています。世界的には数千年の歴史を刻む印章は、日本においても古代から継承されてきたものであり、そこには人間の英知が時を超えて深く息づいているのです。』
捨印についての記述はサイト内検索で見つかりませんでした。
[事例作成日:2014年3月26日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 法律 (320 8版)
- 参考資料
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- 判例タイムズ 判例タイムズ社 判例タイムズ社 30(20-22)<389-391> (110-111)
- 大坂町人相続の研究 中埜喜雄著 嵯峨野書院 (35-36,85,125-138)
- 印の押し方 塩小路/光孚∥著 新人物往来社 (94,97,170-184)
- はんこと日本人門田/誠一∥著大巧社 (155,164)
- ハンコロジー事始め新関/欽哉∥著日本放送出版協会 (166)
- その印鑑、押してはいけない!北/健一∥著朝日新聞社 (210,245)
- 印判の歴史石井/良助∥著明石書店 (187)
- ハンコ今昔新潟県立歴史博物館∥編集新潟県立歴史博物館 (51,61-64)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 法律
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000159336