レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2006年02月14日
- 登録日時
- 2006/03/29 16:12
- 更新日時
- 2008/01/10 08:32
- 管理番号
- 福井県図-20060214-1
- 質問
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未解決
「この道をいけばどうなるものか」から始まる言葉の全文が知りたい。良寛の言葉らしい。
- 回答
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清沢哲夫(のちの暁烏哲夫)氏の詩「道」が該当の詩です。
この詩は、初出「同帰」第335号(昭和26年10月1日発行)。
『無常断章』1966.5 法蔵館に所収されています。
なお、『猪木寛至自伝』には、一休宗純の言葉として以下の詩が掲載されています。
「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ」
これにより、アントニオ猪木氏がこの言葉を一休宗純の言葉として認識しているということはわかりました。
またインターネットサイトでも、一休宗純の言葉として扱っているページが複数存在することもわかります。
しかしながら、一休宗純の言葉であることを示す根拠となる資料は、発見できませんでした。
したがって、アントニオ猪木氏の座右の銘は、一休宗純よりも 清沢哲夫氏の詩の改変である可能性が高いと考えます。
- 回答プロセス
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インターネットで「この道をいけば」で検索。
アントニオ猪木が引退時に禅僧である一休宗純の言葉を引用しているとする、ページを多数発見する。(タイトルは『道』?)
「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ」
・『一休和尚全集 1~4巻』(漢文の詩や禅語が掲載されている)→上記に該当する漢文は発見できず。
・『一休さん一〇〇話』牛込覚心/著2004.3国書刊行会→なし
・『一休道歌』1997.12禅文化研究所→なし
・書架で禅語録や漢語・漢詩の辞典、名言・箴言辞典、一休の伝記など直接確認→手がかりなし
・アントニオ猪木本人が書いた『猪木寛至自伝』を確認→全文が掲載され一休宗純のことばだと書かれているが
出典については明記されていなかった。
・新日本プロレスの道場訓ということで新日のHPを確認→手がかりなし
・wikipediaを検索していたところ、「一休宗純」の項目http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E4%BC%91%E5%AE%97%E7%B4%94【2006年9月15日最終確認】中に以下の記載を発見した。
「アントニオ猪木の座右の銘である「この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道となる。迷わず行けよ。行けばわかるさ」を『一休宗純の言葉』としている本やサイトなどが数多くあるが(それも、猪木云々関係なく)、一休の言葉という確証は全くない。」
・越田文人様より、この詩は「清沢哲夫」の詩である旨、ご教示いただきました。清沢哲夫作「道」の詩の初出誌、初刊本を確認した結果、資料で確認できない一休作とするよりも、資料で確認できる清沢哲夫作と見る方が妥当であると判断いたしましたので、回答を訂正いたしました。
- 事前調査事項
- NDC
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- 人生訓.教訓 (159 8版)
- 参考資料
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- 一休和尚全集 一休/著 1997 春秋社
- 猪木寛至自伝 猪木寛至/著 1998 新潮社
- 日本の禅語録 第12巻 一休 1978 講談社
- キーワード
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- 一休宗純
- アントニオ猪木
- 清沢哲夫
- 暁烏哲夫
- 照会先
- 寄与者
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- 越田文人様
- 備考
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★清沢哲夫著『無常断章』1966 法蔵館 p.172~173にこの詩があります。
『格闘家 最強の言葉』松宮康生/著 2008.1 ゴマブックス p.221-223で
アントニオ猪木が引退のときに朗読した言葉として紹介され、
出典が清沢哲夫の詩であることが書かれています。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 言葉
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000028008