レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年05月15日
- 登録日時
- 2023/12/10 09:23
- 更新日時
- 2024/02/05 14:45
- 管理番号
- 中央-1-0021685
- 質問
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解決
『蜻蛉日記』の中で兼家が道綱母のところに来た回数を表にしたものが載っている論文を探している。
- 回答
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下記の論文の書誌事項を回答した。
・上村悦子「蜻蛉日記の一研究:兼家の行状を中心に」『日本女子大学紀要.文学部』(4) p50-68 1955.2
- 回答プロセス
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●所蔵の『蜻蛉日記』の研究書を調査
×『蜻蛉日記の研究』上村悦子/著 明治書院 1972年
p538~539、道綱母と兼家の贈答歌の回数の表はあり。
×『蜻蛉日記覚書』今西祐一郎/著 岩波書店 2007年
×『道綱母』岡一男/著 有精堂 1970年
p255~訪問回数だけの表にはなっていないが、道綱母年譜の事歴の項目で兼家の訪問は確認できる。
×『蜻蛉日記「巻末歌集」を読む』内野信子/著 鶫書房 2021年
・(参考)『わたしの蜻蛉日記』瀬戸内 寂聴/著 集英社 2009年
p62~63「上村悦子氏は、つとに「蜻蛉日記に現われた兼家行状表」(兼家勤怠簿)というユニークな表を作成して、実際の兼家の通いぶりを採点していられる。」
出典が書かれておらず、また巻末に参考文献も掲載されておらず、特定できないが、著者は上村悦子であることがわかる。
●WEBで調査
“蜻蛉日記”“兼家”等で検索
・深澤 瞳「『蜻蛉日記』中巻における兼家の物忌記事-不訪理由の予告として」『大妻国文』 通号36 2005年 p1~22
p11 訪問とは逆に兼家の物忌記事(謹慎日、不訪の日)についての表が載っている。
“蜻蛉日記に現われた兼家行状表”“兼家勤怠簿”等で検索するがヒットしない
“上村悦子 兼家行状表”で検索し以下がヒット
・守屋省吾「文学形成における一つの要因:中務と道綱母を比較して」『国文学研究』4巻 p12-22
https://ypir.lib.yamaguchi-u.ac.jp/bg/1204(山口県大学共同リポジトリ)(2023.12.10最終確認)
上記論文の参考文献として、以下が挙がっている。
上村悦子氏「蜻蛉日記の一研究-兼家の行状を中心に-」『日本女子大学紀要』第四号
上記論文名でNDL検索するもヒットせず、Cinii検索→ヒット。詳細な書誌事項は下記のとおり。
〇上村悦子「蜻蛉日記の一研究 : 兼家の行状を中心に」『日本女子大学紀要.文学部』(4) p50-68 1955.2
なお、この論文に表が掲載されていることは、国立国会図書館デジタルコレクションの以下から確認できる。
・『国語国文学研究史大成 第5』全国大学国語国文学会研究史大成編纂委員会/編 三省堂 1960年(送信サービスで閲覧可能)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1343969(2023.12.10最終確認)
72コマ目(p122)に以下の文章あり。
「上村悦子「蜻蛉日記の一研究」(『日本女子大学紀要』昭和三十年二月)においても、兼家の訪れを細かく表にした「勤怠表」を資料として、兼家の愛が決して彼女に対して薄くないこと、にもかかわらず作者は、ふたりの関係を愁歎ばかりしていることを述べて、道綱母の主観性を明らかにしている。」
- 事前調査事項
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10年くらい前に見たもので、著者は上村悦子と思われる。
- NDC
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- 日記.書簡.紀行 (915)
- 参考資料
- キーワード
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- 蜻蛉日記
- 藤原兼家
- 藤原道綱母
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌的事項調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000343226