レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024/01/25
- 登録日時
- 2024/02/15 00:30
- 更新日時
- 2024/02/15 00:30
- 管理番号
- 台東区-10711
- 質問
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未解決
江戸時代の町名で「浅草三崎町」が現在のどこか知りたい。
- 回答
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利用者の質問より『日本歴史地名大系13』(599p)浅草大護院門前の項目に「石清水八幡(現蔵前神社)の別当寺で享保17年(1732)に類焼し浅草三崎町に替地を与えた」とあることを確認し、浅草三崎町の場所の特定のため『旧町名下町散歩』『下谷浅草町名由来考』『角川日本地名大辞典13』『大日本地名辞書 第6巻』他、区内所蔵の資料を当たったが浅草三崎町の記載が見当たらず。
そのため、石清水八幡から『御府内寺社備考 一(神社・天台宗①)』を調べたところ、8pに「享保十七子年三月廿八日、類焼仕候ニ付、御用地ニ被召上為替地元坪之通、浅草三嶋町ニ而被下置候処…」とあり、同様の内容が『日本歴史地名大系13』と『御府内寺社備考』で浅草三崎町、浅草三嶋町と異なる町名の記載がされていることがわかる。このことよりどちらかの町名が誤っていることが推察される。
現蔵前神社のホームページ由緒沿革にも「…享保17年年子年3月28日類焼つかまつり候に付、替地として元坪の通り、浅草三嶋町に還し置かれた候ところ…」と記されている。
また『町方書上 二』(113909063)(文政8~11年(1825~28)に成立)にも「浅草三島西蔵院門前」(84p)の項目に、町名の起りは「三島明神之社有之、依之三島西蔵院門前与唱来候」とあり、浅草三嶋町は「浅草三島西蔵院門前(みしまさいぞういんもんぜん)」を指し、三島明神の門前町屋であったことがわかる。
同書では浅草三崎町の町名は見当たらず、近い町名は「浅草三間町」「浅草三好町」「浅草三島西蔵院門前」だけであった。
さらに、切絵図からも『浅草鳥越堀田原辺絵図』(近江屋板)121p及び『浅草御蔵前辺図』(尾張屋板)86-87pに東本願寺の東南に明神と三島門前の記載を確認できる。こちらは現在の台東区寿4丁目付近にあたり、三島明神(三島神社)は現在も存在し台東区寿4-9-1にあたる。
一方、武蔵川初右衛門(相撲)からのアプローチでは、『史料集成江戸時代相撲名鑑 上』(113475313)開催場所一覧の「武蔵川初右衛門」(1319p)の住地には浅草三崎門前と記載がある。この元資料となる『祠部職掌類聚・開帳願差免留(しぶしょくしょうるいじゅう)』(内閣文庫所蔵)を国立公文書館デジタルアーカイブで確認したところ81、86コマに「浅草三崎門前」の記載が見つかり、81コマ目が宝暦9年(1759)、86コマ目が宝暦14年(1764)の開催となっている。
他にも国立国会図書館デジタルアーカイブで浅草三崎町という町名が数点ヒットしたがこれらについては谷中三崎町、浅草三間町の読み間違えであることがわかった。
以上のことから、異なる二つの町名が存在し、真偽についてはどちらとも判断しかねるため、これらの資料の提供をもって利用者ご自身にご判断いただくこととした。
- 回答プロセス
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『日本歴史地名大系13』599p浅草大護院門前の項目に「享保17年(1732)に火災で類焼し、「浅草三崎町」で替地を与えられた」との記載を確認し、浅草三崎町の項目を探したが見当たらず、他『帝都東京大辞典』『角川日本地名辞典13』『旧町名下町散歩』『下谷浅草町名由来考』『東都浅草絵図』などからも当該町名を見つけることができなかった。
また『大日本地名辞書 第6巻』で三崎(サンサキ/ミサキ)で調べてみたが該当するものは見当たらず。
『史料集成江戸時代相撲名鑑 上』(113475313)開催場所一覧の「武蔵川初右衛門」「浅草三崎」の記載部分の元資料『祠部職掌類聚・開帳願差免留』を国立公文書館デジタルアーカイブで確認。74、81、86、91、94コマ目に「武蔵川初右衛門」の記載あり。うち81、86コマに「浅草三崎門前」の記載あり。平野さんに確認、三崎と読める。81コマ目が宝暦9年(1759)、86コマ目が宝暦14年(1764)の開催。「浅草三崎門前四郎兵衛店」は、四郎兵衛が大家をしている長屋に住んでいるという意味。なお74コマ目には浅草猿屋町代地、91コマ目は浅草旅篭町代地、94コマ目は浅草御蔵前片町代地とある。『史料集成江戸時代相撲名鑑 下』(113475321)1319pに初代が猿屋町、浅草三崎門前、二代が旅籠町、御蔵前片町とある。
『日本歴史地名大系13』に石清水八幡(蔵前神社)が享保17年(1732)に類焼し浅草三崎町に替地を与えたとある。『御府内寺社備考 一(神社・天台宗①)』8pに「享保十七子年三月廿八日、類焼仕候ニ付、御用地ニ被召上為替地元坪之通、浅草三嶋町ニ而被下置候処…」とあり、『日本歴史地名大系13』の三崎町は三嶋町の誤りかと考えられる。
浅草三嶋町は「浅草三島西蔵院門前(みしまさいぞういんもんぜん)」を指すと考えられ、浅草三島門前ともいった。三島明神の門前町屋。『浅草鳥越堀田原辺絵図』(近江屋板)には東本願寺の東南に明神と三島門前の記載があり、『浅草御蔵前辺図』(尾張屋板)にも神明と三島門前の記載がある。現在の台東区寿4丁目付近にあたり、三島明神(三島神社)は現在、台東区寿4-9-1にある。
なお浅草三崎町という町名は『町方書上』(江戸時代に幕府が江戸の町々の由来や現況についてまとめた報告書。文政8~11年(1825~28)に成立)に見られず、似ている町名は「浅草三間町」「浅草三好町」が考えられる。
- 事前調査事項
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相撲について調べている。「内閣文庫 祠部職掌類聚」の中で宝暦9年(1759)夏に武蔵川初衛門が三崎門前に住んでいたとあった。
自身で調べていく中で『日本歴史地名大系13』(113325351)599pに浅草三崎町を見つけたため今回のレファにつながった。
- NDC
- 参考資料
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- B10134966 史料集成江戸時代相撲名鑑 上 飯田昭一/編 日外アソシエーツ 2001.9 788.1 (102p、106p)
- B10134967 史料集成江戸時代相撲名鑑 下 飯田昭一/編 日外アソシエーツ 2001.9 788.1 (1319p)
- B12793043 御府内寺社備考 1 台東区教育委員会/編 台東区教育委員会 2002.3 185.9 (8p)
- B10220192 日本歴史地名大系 13 平凡社 2002.7 291.0189 4-582-49013-1 (599p、603p)
- B12072371 角川日本地名大辞典 13 「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1978 291.033
- B12091588 江戸切絵図集成 第3巻 斎藤直成/編 中央公論社 1981.11 291.36 (121p)
- B12093255 江戸切絵図集成 第5巻 斎藤直成/編 中央公論社 1982.3 291.36 (90p)
- B11323851 町方書上 2 江戸東京博物館友の会/翻刻 江戸東京博物館友の会 2013.2 213.6105 (57p、85p、(18-20p))
- 国立公文書館デジタルアーカイブ『祠部職掌類聚 開帳願差免留』 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004612&ID=M2009022520115492973&TYPE= 20240124
- 蔵前神社 由緒沿革 https://kuramaejinja.tokyo/honorable-history/
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000346307