レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年12月04日
- 登録日時
- 2024/02/09 11:07
- 更新日時
- 2024/03/12 15:53
- 管理番号
- 新県図-01548
- 質問
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解決
古町の待合・料亭の「玉屋」について
- 回答
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当館所蔵資料を調査したところ、(1)~(3)の資料に古町「玉屋」に関する記述が見つかりました。ただし、主な記述は待合「玉屋」を開業し、女将となった芸妓「たま」に関するもので、玉屋の歴史を概観する資料は見つかりませんでした。
(1)『新潟の花街』古町芸妓物語 新装版(藤村誠/著 新潟日報事業社 2014)
まず「第2章 (2)『新潟花かがみ』に見る明治の古町芸妓」内p92~93「東下りの芸達者 玉屋の小勝(こかつ)」に、玉屋の芸妓・小勝に関する記述があります。
次に「第2章 (8)明治後期の古町芸妓」内p136~140「①新玉屋たま」に、新玉屋の芸妓・たまに関する記述があります。たまは小勝の養女となり、やがて明治期から大正期にかけて、古町花街随一の美妓として知られ、落籍後に待合「玉屋」を開業し、名物女将となりました。
さらに「第4章 昭和時代の新潟花街」内p194~195「昭和5年頃の古町花柳界」に、筆者の作成した当時の地図図版が掲載されています。p195左下、鍋茶屋の隣に「玉家」と記載があります。
(2)『新潟芸妓の世界』古町花街百年外史(新潟日報事業社/編 新潟日報事業社 1973)
p23~122「玉女聞き書き」に、前掲(1)の新玉屋たま、本名・ツグ女の懐旧談を記録しています。玉屋を訪れた著名な文人たちとの交流や、当時の新潟花街の様子についても触れられています。
(3)『湊町新潟に伝承する文化・芸能の歴史的資料』(湊町に伝承する文化・芸能の歴史的資料編纂事業委員会/編 東日本鉄道文化財団 2009)
前掲(1)のとほぼ同内容ですが、たまと小勝の肖像写真や錦絵等の図版をカラーで記載しています。
以下は調査済み資料です。参考までに申し添えます。
・『越後土産』(紀興之/著 片桐治吉 1892)
p59~60「新潟細見の部 料理店」
・『新潟市史』通史編3 近代(上)(新潟市史編さん近代史部会/編 新潟市 1996)
p127~132「第2章 第2節 第5項 新潟町の芸妓と娼妓」
・『新潟今昔草紙』(松本春雄/編 新潟風土記刊行会 1959)
・『新潟ののれん』(新潟日報事業社/編 新潟日報事業社 1974)
・『鍋茶屋ものがたり』(平山敏雄/文 新潟日報事業社/企画 鍋茶屋 1997)
・『日本の料亭紀行』(葛城三千子/著 右文書院 2011)
・『柳都新潟古町芸妓ものがたり』(小林信也/著 ダイヤモンド社 2018)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 社会.家庭生活の習俗 (384 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 玉屋
- 古町
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000346166