レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年11月07日
- 登録日時
- 2023/11/17 16:36
- 更新日時
- 2024/03/03 17:52
- 管理番号
- 奈県図情23-1104
- 質問
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解決
明治初期に長崎・浦上地域から奈良県に流配された潜伏キリシタンの調査をしている。
『日新記聞』第3号の6ページの6~7行目に「県庁において異宗の徒をして新道を開かしむという噂あり」といった記述が見られる。
この内容に関する詳細を行政文書やその他の文書で確認することはできるか。
- 回答
-
ご質問の『日新記聞』第三号(明治5年5月)の記事を確認いたしました。
「此頃仄ニ聞ク県庁ニ於テ異宗ノ徒ヲシテ新道ヲ開カシムト云噂アリ又徒刑人ヲ以テ鉱山ヲ稼カシムト云コトモアリ」
→記事の内容は、当時、県庁で下記①と②の話(噂)が出ているとほのかに聞いたという内容かと思われます。
①異宗の徒を新道建設に従事させる
②徒刑人(囚人)に鉱山で労働をさせる
■新道建設について
ご質問は、①についてのことで、異宗ノ徒(大和に流配されてきた浦上キリシタン)が、新道建設に携わったという資料があるかというお尋ねかと思います。
結論といたしまして、実際に浦上の信徒が新道建設に従事したことを示す公文書や資料は見当たりませんでした。
まず「新道」として可能性がある場所を探してみました。
『日新記聞』の第五号(明治5年7月)のp.3に大和国龍田村から河州国分村までの大和川沿いに新街道を開くようだという記事が載っています。
『奈良市史』通史四p.9にも初代県令四条隆平の業績として大和川沿いに竜田村から河内国国分村に通じる新道建設をすすめたことが紹介されていますので、この新道建設について調べました。
『王寺町史 本文編』のp.230~p.234にこの新道(亀瀬新街道)建設のことが書かれています。
資料編のp.790~p.809にも関連する資料が掲載されていますが、浦上の信徒たちが関わったという記載は見当たりませんでした。
■鉱山労働について
②の鉱山労働につきまして、記事は徒刑人となっておりますが、郡山にお預けとなっていた浦上の信徒たちが天川の銀山で労働を行ったという体験談が『浦上切支丹史』「旅の話」p.538に載っています。
『日新記聞』第三号の当該記事につきましては、【参考資料】として挙げました谷山、鎌田の両氏が論文で取り上げておりますが、新道建設については触れず、「旅の話」をもとに、②の鉱山での労働に従事したとしています。
※谷山氏は「旅の話」では銀山となっていますが、これは和田村の「天和銅山」ではないかと推測されています。
鉱山の労働については『天川村史』のp.272~p.273にも浦上の信徒たちが「二十歳以上の男女が天川の天和鉱山に送り込まれてきたのである」とあり、また「和田の伊波多神社のそば、和田小学校のプールのあるあたりが天和鉱山で働いた異宗徒御預所跡と伝える」と地元の伝承も紹介されています。
▼参照しました資料を参考までに下記に挙げさせていただきます。
【参考資料】
[論 文]
・谷山 正道「浦上キリシタンの配流と郡山」
『研究紀要』(24) 1-32 奈良県立同和問題関係史料センター 編 2020年3月
・鎌田 佳子「浦上村キリシタン流配事件--大和郡山藩の事例」
『立命館文學 = The journal of cultural sciences』(612) 11-20 立命館大学人文学編2009年6月
https://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/612/612PDF/kamada.pdf(最終確認日:2024/01/13)
・三俣 俊二「大和郡山藩流配の浦上キリシタン研究」(丸山宣武教授退休記念号)
『聖母女学院短期大学研究紀要』37 A1-A21, 2008年3月
※郡山藩の浦上キリシタン収容所の平面図を作成して掲載
[書 籍]
・『浦上切支丹史』浦川和三郎著 全国書房 1943年
・『奈良市史』第四巻 ※p.12に「浦上キリシタンの大和配流」の項目があります。
https://www.city.nara.lg.jp/uploaded/attachment/21408.pdf(最終確認日:2024/01/13)
・『大和郡山市史 本編』柳沢文庫専門委員会編 1966年
※p.350~p.353に「浦上キリシタンと郡山藩」という項目あり
・『天川村史』天川村 1981年
・『王寺町史 本文編』王寺町史編集委員会編 2000年
・『王寺町史 資料編』王寺町史編集委員会編 2000年
[当館所蔵の公文書]※いずれも政府から出された令達・布告になります。
・『東京御達 明治三庚午年 奈良県』明治3年(1-M3-2f)
「長崎県近傍浦上村之者切支丹宗信仰いたし右各藩へ御分配相成教喩方之儀御達之事」
・『壬申正月ヨリ九年五月ニ至ル 公布留』明治5年(1-M5-8f)
「第四拾壱号(赦免異宗徒の内、家族と引き離れている者は県の判断で引き合わせを許す)」
・『自明治五年至同七年 官省達及伺届等之件 戸籍之部 兵事課』明治6年(1-M6-12)
「長崎浦上村耶蘇宗徒ノ者本籍へ送リ届月日及管下民籍へ編入 共員数調方掛合」
[国立公文書館]
・「十二県御預異宗徒巡視概略・名古屋、津、郡山、和歌山、姫路、鳥取、福山、松江、岡山、広島、津和野、山口」 (郡山藩:画像23~29 )
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F0000000000000045207&ID=M0000000000000015804&TYPE=(最終確認日:2024/01/13)
・「公文録・明治三年・第百三十一ノ二巻・庚午・公文録附録(異宗門徒人員帳)」郡山藩
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F0000000000000001486&ID=M0000000000000075997&TYPE=(最終確認日:2024/01/13)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
-
「日新記聞」第3号6ページ目6~7行目
- NDC
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- 各教派.教会史 (198)
- 民間信仰.迷信[俗信] (387)
- 参考資料
- キーワード
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- かくれ切支丹
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000341156