レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/03/20
- 登録日時
- 2023/05/02 00:30
- 更新日時
- 2024/03/02 10:19
- 管理番号
- 秋田-2915
- 質問
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解決
秋田市にある当福寺は「平鹿郡増田町の豪族、保阪氏」の帰依を受けて創建したとあるが、『増田町史』『増田郷土史』に保阪氏についての記載はあるか。
- 回答
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『増田町史』『増田町郷土史』を確認したが、保阪(保坂)氏の記載は確認できず。
参考までに、当福寺(東福寺)と保阪(保坂)氏について記載のあった以下の資料を案内。
①『当福寺小誌』(木村鈴信/編、当福寺、1981、A185/58/)資料番号:110720877
②『当福寺小誌 追補』(木村鈴信/編、当福寺、2001、185/キト/2郷)資料番号:128738200
③『稲川町史資料篇 第3集』(稲川町教育委員会、1967、A214.9/16/3)資料番号:110769890
④『角川日本地名大辞典 5 秋田県』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編、角川書店、1980、290/カカ/郷)資料番号:129109104
⑤『秋田人名大事典』(秋田魁新報社/編集、秋田魁新報社、2000、280/アア/郷)資料番号:124250713
⑥『あきた名字と家紋』(丸山浩一/著、秋田魁新報社、1999、288/アア/郷)資料番号:124234089
- 回答プロセス
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1.所蔵資料検索(キーワード:当福寺)
①『当福寺小誌』(木村鈴信/編、当福寺、1981、A185/58/)資料番号:110720877
→P17 「文貞上人は(中略)土地の豪族保坂某の帰依を受け、嘉禎年中(一二三五)荒廃極まれる天台の古刹、東福寺を再興し(以下略)」と記載あり。
※上記記載の前に「増田に来りて」の他、文貞上人が秋田県内各所を訪れていた旨の記載もあるが、本文からは保坂氏が増田の人物であると確認ができず。
②『当福寺小誌 追補』(木村鈴信/編、当福寺、2001、185/キト/2郷)資料番号:128738200
→P10 「出戸の北野から(中略)(飯島地区開拓者保坂和泉守を大旦那として)文明五年に移ってきた寺」と記載あり。
2.①の出典が『稲川町史』だったため、関連資料を確認。
③『稲川町史資料篇 第3集』(稲川町教育委員会、1967、A214.9/16/3)資料番号:110769890
→P9-10 東福寺(当福寺)について、①および②と同様の記載あり。
3.『増田町史』『増田町郷土史』、増田町に関する郷土史を確認。
→保阪(保坂)氏の記載は確認できず。
4.『秋田県史』『秋田市史』の「保阪(保坂)」「当福寺(東福寺)」の項を確認
→記載なし。
5.角川の地名辞典を確認。
④『角川日本地名大辞典 5 秋田県』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編、角川書店、1980、290/カカ/郷)資料番号:129109104
→P451 「東福寺<稲川町>〔中世〕」の項に「鎌倉・南北朝期頃の東福寺領主は小笠原氏の家臣の保坂氏であり、室町期以降に稲庭系小野寺氏の勢力に取って代わられたという」と記載あり。
⑤『秋田人名大事典』(秋田魁新報社/編集、秋田魁新報社、2000、280/アア/郷)資料番号:124250713【貸出不可・複写可】
→P495-496 「保坂和泉守」の項に「秋田市飯島地区の開村者(中略)当福寺は(中略)保坂和泉守を大旦那(総代)とした(以下略)」と記載あり。
⑥『あきた名字と家紋』(丸山浩一/著、秋田魁新報社、1999、288/アア/郷)資料番号:124234089
→P344 「保坂」の項に「飯島の開拓先祖は南北朝期の保坂和泉守とされ当福寺を開基した人」と記載あり。
なお、④に記載のある東福寺(現:湯沢市)の保坂氏と、②⑤⑥に記載のある秋田市の保坂氏の関連性については記載を確認できず。
記載の無かった資料は以下のとおり。
×『増田町史』(増田町史編纂委員会/編纂、増田町、1997、214.8/ママ/郷)資料番号:124189879
×『増田町郷土史』(増田町郷土史編纂委員会/編、増田町教育委員会、1972、214.8/ママ/郷)資料番号:111326955
×『稲川町史』(稲川町教育委員会/編、稲川町教育委員会、1984、214.9/イイ/郷)資料番号:111326997
×『稲川郷土史資料編 第10集 いなかわ地名伝説』(稲川文化財保護協会/〔編〕、稲川文化財保護協会、2008、214.9/イイ/10郷)資料番号:129271722
×『稲川町史資料篇 第4集~第11集』(稲川町教育委員会、A214.9/16/)
×『奥羽永慶軍記 上 第二期戦国史料叢書 3』(〔戸部正直/著〕、人物往来社、1966、210/オト/1郷)資料番号:124251380
×『奥羽永慶軍記 下 第二期戦国史料叢書 4』(〔戸部正直/著〕、人物往来社、1966、210/オト/2郷)資料番号:124251398
×『日本歴史地名大系 5 秋田県の地名』(平凡社、1980、291.0/ヘニ/5)資料番号:111343521
×『秋田のお寺 心のふる里』(秋田魁新報社出版部/編、秋田魁新報社、1997、185/アア/郷)資料番号:124187857
×『あきた名字物語』(丸山浩一/著、秋田魁新報社、1985、288/マア/郷)資料番号:111341384
×『系図目録 1 秋田県公文書館所蔵古文書目録 第4集』(秋田県公文書館/編集、秋田県公文書館、2001、A288/75/)資料番号:128712635
×『系図目録 2 秋田県公文書館所蔵古文書目録 第5集』(秋田県公文書館/編集、秋田県公文書館、2002、A288/75/2)資料番号:128772167
- 事前調査事項
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・『秋田のお寺さん』(秋田魁新報社企画委員会事務局/編、秋田魁新報社/出版、1978、185/アア/郷)資料番号:128366267
→P206「浄土宗は、当福寺(秋田市旭北栄町)が最も古く、寺伝によれば鎌倉時代の嘉禎年間(1235―1238年)に法然門下の石垣金光房に随待して奥羽地方に来た文貞上人が、平鹿郡増田町の豪族、保阪氏の帰依を受けて創建したという。のち増田から天王町出戸、飯島を経て江戸時代初期に現在地に移った。また江戸時代には、慶長十年(1605年)に藩祖の佐竹義宣が文冏上人に帰依して願寺(秋田市旭南一丁目)を創建している。このほか弘願陰や善長寺、光明寺などが建てられている。」
- NDC
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- 哲学 (1)
- 参考資料
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- 当福寺小誌木村鈴信/編当福寺
- 当福寺小誌追補木村鈴信/編当福寺
- 角川日本地名大辞典5「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編角川書店
- 秋田人名大事典秋田魁新報社/編集秋田魁新報社
- あきた名字と家紋丸山浩一/著秋田魁新報社
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稲川町文化財保護協会/編. 稲川町史資料篇 第3集. 稲川町教育委員会, 1967-03.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I05111005010004390
- キーワード
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- 増田(マスダ)
- 保阪(保坂)(ホサカ)
- 当福寺(東福寺)(トウフクジ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000332777