レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年04月28日
- 登録日時
- 2022/10/27 11:42
- 更新日時
- 2022/11/10 18:41
- 管理番号
- 大分県立郷土-2022-002
- 質問
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解決
金光庸夫(宇佐出身、代議士)の母の名前が知りたい。金光トシではないかと思われるが、確認したい。
- 回答
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「金光トシ」は金光庸夫の妻と思われる。しかし、資料によって名前が「俊子」「トシ子」「トシ」と分かれる(説明からは同一人物を指す)。『国史大辞典 第3巻』より母の名前はトモ。資料は以下を紹介。
【1】『大分県人士録』佐藤巖/編 大分県人士録発行所 1914
p323~324 「大正生命保険株式会社取締役兼支配人 金光庸夫」
“東京市赤坂区榎木坂町三番地 明治十年三月十三日生”
“氏は大分県宇佐郡高家村の人、芳藏氏の次男にして(省略)。”
“家庭=夫人トシ子(明治十八年生)は福岡県筑紫銀行頭取都島茂七氏の長女にして其間に長男義邦
(四十一年生)長女ヒデ子(四十三年生)二男亨(大正二年生)あり。”
【2】『二豊官民人士録』古澤丈平/著 二豊新聞社 1929.10
p90~91「衆議院議員、各会社社長・重役、東京商工会議所議員 金光庸夫氏」
“出身地 宇佐郡高家村
現住所 東京市麹町区有楽町二ノ七”
“家庭は俊子夫人との間に長男壽邦、長女英子、次男亨、三男庸房、二女淳子、三女澄子、四男邦
夫、四女昌子、五男庸俊の五男四女の子福者として常に団欒たり。”
※この資料では長男義邦は「壽邦」と記載されているが、その他の資料では「義邦」となっている。
【3】『国史大辞典 第3巻 か』国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1983.2
p460 「かなみつつねお 金光庸夫」
“大正・昭和時代の政治家。明治十年(一八七七)三月十三日大分県宇佐郡高家村(宇佐市)に生ま
れた。父は芳蔵、母はトモ。”
◯「『人事興信録』データベース」名古屋大学 https://jahis.law.nagoya-u.ac.jp/who/
「金光庸夫」で検索していただくと、次の検索結果がでてくる。
また、金光トシの父・都島茂七についても、関連として検索結果にでてくるため、合わせて紹介。
・第4版[大正4(1915)年1月] 金光庸夫
“家族:妻 トシ 明一八、五生、福岡、平、都島茂七長女
男 義邦 明四二、三生
甥 義典 明一五、一〇生、亡兄芳夫長男”
“記述部分(略伝):(前略)家族は前記の外長女英(明四四、二生)二男亨(大二、二生)あり
妹ライ(明一二、四生)は大分縣人磯田陸藏に嫁せり”
・第8版[昭和3(1928)年7月] 金光庸夫
“家族:妻 トシ 明一八、五生、福岡、都島茂七長女
男 義邦 明四二、三生
女 英 明四四、二生”
“記述部分(略伝):(前略)家族は尚二男享(大二、二生)三男庸房(同四、三生)二女淳子(同
六、三生)三女澄子(同八、一一生)四男邦夫(同一一、一生)四女昌子(同
一四、一生)五男庸俊(昭二、一生)あり
妹ライ(明一二、四生)は大分縣人磯田陸藏に嫁し甥義典(同一五、一〇生)
は分家せり”
- 回答プロセス
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1 当館所蔵の人名事典関係を確認(郷土)。
2 データベースのWhoplusを確認し、参考資料を確認。
3 当館所蔵検索にて、名前で検索。該当資料を確認。
4 インターネット確認。名古屋大学「人事興信録DB」がヒット。
5 国立国会図書館デジタルコレクションを確認。
- 事前調査事項
- NDC
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- 系譜.家史.皇室 (288 10版)
- 参考資料
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【1】大分県人士録. 大分県人士録発行所, 1914.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001765508-00 -
【2】古沢丈平 著 , 古沢, 丈平. 二豊官民人士録. 二豊新聞社, 1929.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001779676-00 -
【3】国史大辞典編集委員会 編. 国史大辞典 第3巻 (か). 吉川弘文館, 1983.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001610613-00
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【1】大分県人士録. 大分県人士録発行所, 1914.
- キーワード
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- 金光庸夫(かなみつつねお)
- 宇佐市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000323069