レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/6/1
- 登録日時
- 2022/09/02 00:30
- 更新日時
- 2024/03/29 00:34
- 提供館
- 金沢市図書館 (2310230)
- 管理番号
- 玉川-000992
- 質問
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解決
【十四会について】 北條時敬が参加していた十四会の目的が知りたい。また、会則があれば見たい。
- 回答
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国立国会図書館サーチで「北條時敬 十四会」と検索したところ、以下の文献が見つかった。
『近代住友の経営理念』 瀬岡 誠/著 有斐閣 1998年(当館に所蔵なし、金沢大学附属図書館より取り寄せ)
p.117「「十四会」は会員の数にちなんで名付けられたとも、明治14年(1881)の結成にちなんで名付けられたともいわれるが、そのメンバーの大半が金沢出身者であり、東大予備門出身者であったといわれる。北條時敬・織田小覚・早川千吉郎・土岐こう(にんべんに黄)・永山近彰・平山銓太郎・岡田良平・一木喜徳郎・平沼騏一郎・岡田次郎作・中橋徳五郎・河村善益・鈴木馬左也らがそのメンバーとしてあげられている。」
p.118「この「十四会」は、「出身地・出身校・血縁などを媒介要因として参集した前途有為の青年たちが、宗教(とくに禅宗)・学問・思想・武芸などの共同学習や鍛錬を通じて互いに強靭な主体性を確立しあうことを目的として結束した、連帯性がきわめて高い結社」であったと考えられる。」
同書から十四会が北条時敬を中心とした組織であったこと、小倉正恒が関係していたことがわかったため、以下の文献を確認した。
『廓堂片影』(119572200)
p.343「(明治22年)二月十六日 十四会ニ織田氏ニ赴ク 会者ハ織田、鈴木、早川、土岐、一木、岡田、永山、平沼諸氏及自分ナリ此日、日本固有ノ旧慣ヲ重ンシ以テ日本国体ノ面目保ツ事ト及参学ニ関スル談話アリ」
p.350「五月七日 夕ニ鈴木氏を訪ヒ十四会員ニテ送別会ヲ為サンコトヲ申入ル」、「五月十二日 十四会員等松源ニ集リ鈴木氏ノ為メニ送別会ヲ催ス会スル者土岐、一木、岡田良平、織田、早川、平沼、平山、永山近彰、岡田次郎作及自分ナリ」
『小倉正恒』(119563730)p.66「十四会の仲間は、北条時敬、織田小覚、早川千吉郎、土岐こう(にんべんに黄)、永山近彰、平山銓太郎、岡田良平、一木喜徳郎、平沼騏一郎、岡田次郎作、鈴木馬左也などであった。十四会の名の由来は、会員の人数に拠ったのであろうか、あるいは明治十四年の結成であろうか、詳らかでない。明治十四年は、この中の多くが、東京大学(明治十九年に帝国大学となり明治三十年に東京帝国大学となった)予備門に居た。この仲間は数人を除いてほとんど金沢の出身であった。」
十四会の会則は確認できなかった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000320741