レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年06月25日
- 登録日時
- 2021/03/26 10:47
- 更新日時
- 2021/03/26 11:05
- 管理番号
- 京歴-554
- 質問
-
解決
明治13(1880)年頃にあった上京警察署の河原町分署の住所を知りたい。
- 回答
-
上京警察署河原町分署は第三方面分署と同一であると思われる。住所は「上京区押小路通河原町東ヘ入下丸屋町」である。
資料①~③には以下のように記述されていた。いずれも国立国会図書館デジタルコレクション(④)でも閲覧可能である。
『京都府布達要約, 明治12・13年[第1編下巻]』(①)877丁には、「第三方面分署」の住所が「上京区第卅壹組押小路通河原町東ヘ入下丸屋町」と書かれている。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788390 (65コマ)
(なお、国会図書館デジタルコレクション所蔵資料は、当館所蔵資料とページ数が異なる。)
『京都府統計表, 明治13年』(②)67丁(表)では「第三方面分署」の住所として「上京区三十一組下丸屋町」と書かれている。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1086995 (73コマ)
『京都府統計表, 明治14年』(③)67丁(表)では「河原町分署」の名称で掲載されており、住所は「上京区第廿壱組下丸屋町」と記載されている。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807203 (71コマ)
【webページの最終確認日:2020-12-17】
- 回答プロセス
-
『京都府警察史, 第2巻』(⑤)p.420に、明治13年4月には、京都府庁内に警察本署の設置によって各警察署管内を直轄地と分署管轄地に分け、分署管轄内にはそれぞれ派出所と交番署を新たに設置したとあり、上京警察署の分署として、浄福寺分署(京都市)、西洞院分署(京都市)、河原町分署(京都市)、御室分署(葛野郡)、岩倉分署(愛宕郡)とあるが、住所は書かれていない。
当館の資料・デジタル画像検索システム「京の記憶アーカイブ」(⑥)でキーワード「警察△分署」で検索したところ、「明治13年12月27日 管内警察署分署の位置および所轄を改正」が出てきた。出典として布達489号とあり。
http://www.archives.kyoto.jp/websearchpe/detail?cls=371_chronicle&pkey=0000021588
『京都府布達要約索引, 自明治元年至明治13年』(⑦)p.318により、『京都府布達要約, 明治12・13年[第1編下巻]』(①)の877丁を確認したところ、河原町分署という名称では掲載されておらず、第一~第三方面分署、岩倉分署、御室分署が掲載されていた。
また、『京都府統計表, 明治13年』(②)では、『京都府統計表, 明治14年』(③)を確認したところ②には三方面分署、③には河原町分署として書かれていた。
これらの資料の記述から、第一方面分署が浄福寺分署、第二方面分署が西洞院分署、第三方面分署が河原町分署と推測される。
【webページの最終確認日:2020-12-17】
- 事前調査事項
- NDC
-
- 行政 (317)
- 参考資料
-
- ①『京都府布達要約, 明治12・13年[第1編下巻]』京都府調査掛編纂 京都府 1881 (当館請求記号:MK0||318.1||KY6||1-2)
- ②『京都府統計表, 明治13年』京都府編 京都府 1882 (当館請求記号:MK0||351.62||KY6||)
- ③『京都府統計表, 明治14年』京都府編 京都府 1883 (当館請求記号:MK0||351.62||KY6||)
- ④国立国会図書館デジタルコレクション
- ⑤『京都府警察史, 第2巻』京都府警察史編集委員会編集 京都府警察本部 1975 (当館請求記号:MK0||317.7||Ky6||2)
- ⑥京の記憶アーカイブ (http://www.archives.kyoto.jp/)
- ⑦『京都府布達要約索引, 自明治元年至明治13年』京都府調査掛編纂 京都府 1881 (当館請求記号:MK0||318.1||KY6||)
- キーワード
-
- 上京警察署
- 河原町分署
- 第三方面分署
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000295813