レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2020/12/25 17:40
- 更新日時
- 2021/01/22 14:48
- 管理番号
- 北九2020八幡11一般
- 質問
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解決
江戸時代、黒崎の藤田に本陣と脇本陣があった。宿場町のどこにあったのか書かれた配置図がないか。
また、屋号の継承や解説が書かれたものはないか?
- 回答
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当館には、江戸時代の黒崎宿の一枚ものの地図の所蔵はないが、長崎街道や黒崎について書かれた図書の中に、挿絵の形で地図の記載あり。
黒崎宿では、本陣を御茶屋、脇本陣を町茶屋と呼んでいた。
屋号についての細かい解説は見つからなかったが、地図の中に桜屋や関屋、八幡屋、竹屋などの名前が見える図書もあり、また、その中の桜屋については幕末の頃のことについて、記述がある本があった。
黒崎宿の地図の掲載があった以下の図書と、参考図書として桜屋の記述があった図書を提供した。
・『波多野家文書』第三輯 豊山八幡神社・春日神社 能美安男編 K175.116/ノ/3/
⇒巻頭に折込地図「黒崎宿内田町・船町之図」(年代不明)あり。
内容は御茶屋(本陣)、町茶屋(脇本陣)周辺の地図。
個人名の記された家がみられるため、一番記載は細かい。
・『黒崎学校百年史』北九州市黒崎小学校創立百周年記念事業委員会 K374.116/ク/
⇒p169~p188「宿場町としての黒崎」の中に、地図がある。
p174元和~寛文頃(1615~1673)桜屋所蔵の地図写し
p176~p177「遠賀郡往還図による黒崎宿の図」
p180の本陣と脇本陣の説明の中に、屋号の記載あり。
・『黒崎之里 第9号』黒崎之里刊行会 K051/ク/monji
⇒p44~p62「筑前黒崎宿と黒崎湊(Ⅰ)」
p49に「天保期(1831~1845)黒崎宿見取図」あり。
御茶屋、町茶屋、代官所など主だった場所の記載あり。
・『黒崎之里 創刊号』黒崎史蹟保存会 K050/ク/monji
⇒p39~p41「御茶屋の跡」
p40御茶屋と町茶屋があった場所の拡大図あり。
おそらく、本が出版された当時の地図と対比で描かれている。
説明文の中に、屋号と現存しているかどうかについての記載あり。
・「黒崎の成り立ち」竹中 岩夫/著 K211.62/タ/
⇒p33~黒崎宿についての解説あり。p34に寛文年間頃(1661~1673)の黒崎図あり。
御茶屋、町茶屋の場所は載っている。
・『伊能大図による「筑前の長崎街道」の追跡』松尾昌英 K296/マ/
⇒p69の第三図伊能大図による長崎街道の改訂図4が黒崎宿。
現代の地図に街道と御茶屋など主要施設の場所が記載されている。
・『長崎街道筑前黒崎宿での五卿の宿』 山神 明日香/著 K682/ヤ/
⇒p4、p18~p19に黒崎宿の地図あり。また、p53~p91桜屋についての記述あり。
- 回答プロセス
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江戸時代の黒崎宿ということで、黒崎に関する図書や、長崎街道についての図書を検索し、内容を確認。
確認した図書のうち、地図が掲載されているものを提供した。
屋号の解説や継承については、詳細に書かれた本が見当たらなかったが、江戸時代末期の桜屋については記述のある本があったため、参考図書として提供した。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『波多野家文書 第参輯』 能美 安男/編. 豊山八幡神社 1965 (K175.116/ノ/3, 0311016810)
- 『黒崎学校百年史』北九州市黒崎小学校創立百周年記念事業委員会 1974 (K374.116/ク/, 0311044218)
- 『黒崎之里 第9号』 黒崎之里刊行会/編集 黒崎史蹟保存会 1984.5 (K051/ク/monji, 0312469414)
- 『黒崎之里 創刊号』黒崎史蹟保存会 1933 (K050/ク/monji, 0312469471)
- 『黒崎の成り立ち』 竹中 岩夫/著 八幡郷土史会 2004.6 (K211.62/タ/, 0311940795)
- 『伊能大図による「筑前の長崎街道」の追跡』 松尾 昌英/著 みき書房 1997.11 (K296/マ/, 0311394290)
- 『長崎街道筑前黒崎宿での五卿の宿』 山神 明日香/著 [山神明日香] 2004.6 (K682/ヤ/, 0312174436)
- キーワード
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- 黒崎宿
- 長崎街道
- 江戸時代
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000291510