レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年08月01日
- 登録日時
- 2020/12/24 16:24
- 更新日時
- 2020/12/24 16:24
- 管理番号
- 市川20200801-02
- 質問
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解決
市川駅が快速停車駅になった経緯がわかる資料はあるか。
- 回答
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『東京の鉄道ネットワークはこうつくられた 東京を大東京に変えた五方面作戦』(高松良晴/著 交通新聞社 2015)に「乗客の駅相互の発着人数(OD表)をもとに、快速、緩行両線が大体均衡がとれるよう(中略)快速停車駅と決定した」とあった。
また、その参考文献一覧の「中央線・総武線複々線化」の項から次の資料にあたった。
「総武本線東京・津田沼間線路増設計画」(井上六郎/著 『東工』第18巻4号・1967年11月 日本国有鉄道第一東京工事局/編)p.5に「快速線と緩行線に対する乗客の選び方は次に示すような条件によるであろうと想定して両国、津田沼間の快速線の停車駅を種々変へた案について比較試算した。」「快速、緩行両線が大体均衡のとれた状態であろうと試算の結果推定される。快速停車駅として、両国、津田沼間において、錦糸町、新小岩、市川、船橋、津田沼が決定された」とあり。
『停車場技術講演会記録 第17回』(井上六郎/著 日本国有鉄道造建設局 1967)p.11の「総武本線東京・津田沼間線増について」にもほぼ同様の記述あり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000291432